2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

11・14

いよいよ「紅の歌」が誕生してより、25周年の11.14が迫ってきた。 「紅の歌」の最後の校正は、帰りの飛行場から電話がはいった――とW副会長から聞いたことがある。 私は、壮年部になってから毎回の座談会で、会長勇退から「紅の歌」誕生までの歴史を語ってき…

あの日あの時4「池田先生と四国」

師のもとへ船は急いだ さんふらわあ7号「太陽が燃えよる……ええ感じの船や」 ボストンバッグを手に、徳島県のK・Yは巨大な船腹を見上げ、おもわずうなった。 水平線を突き破った日輪、オレンジ色の炎が、純白の船体にデザインされている。 大型バスや乗用車か…

「第四回四国総会」2

昭和30年(1955年)高知を訪れた戸田先生は、この地が生んだ自由民権運動の闘士・板垣退助と中江兆民にふれて指導された。先生は、この地に民衆の力による時代変革の息吹を感じておられた。明治維新の総仕上げをした気迫をたたえておられた。 今また、友情の…

敬愛する四国の皆さまに捧ぐ

光の国に常楽我浄の勝利を! 2000年8月12日 おお! 海と空がある 四国の天地は 心 若返らせてくれる 奥深い新しい力を 持っている。 遠くを眺めると 神々しいほどの煌きが 我らの心には見える。 この地で 我々は そして私たちは 燃える思いで 偉大な信仰に …

「第四回四国総会」1

事実の上で、歴史を前進させるのはだれか――。それは民衆である。名もなき庶民である。有名人でもなければ、権力欲の政治家でもない。地位もなく、巨富もなく、名声もなくとも、日々を真剣に生きる民衆の力である。 民衆ほど偉大なものはない。民衆ほど強く、…

「功徳あふれる徳島に」

徳島講堂の完成を心からお祝い申し上げる。いま、私も○○○○○○○○○より御下付たまわった御本尊に、皆さま方のご多幸、ご長寿、無量の功徳、さらに広布が無限に開けていくよう深くご祈念させていただいた。皆さま方のお力でできあがった講堂であり、“広布の我が…

不滅の大城 永遠勝利の四国

2001年4月4日我らの四国よ! 誇りも高き 師弟不二たる 五月の三日よ! おお四国! おお志国! 我々にとって 誉れ高き 不可分の栄光は 永遠に 堅固な大城が 四国にあることだ。 いや 四国自体が 不滅の大城なのである。 いくら愚劣な 無意味な批判の 砲弾が飛…

青き天地 四国賛歌

1987年11月6日私は 待った 金波の横浜港を眼前に望む 神奈川文化会館の一室の窓辺より 双眼鏡を手に 待ちに 待った はるか彼方より 「さんふらわあ7」号の船上には 愛する四国の求道の友 一千人 はるばると また はるばると その“真実一路”の来港を 地元・神…

婦人部代表者会議

これまで、戸田先生の弟子の中からも、反逆者や退転者が出た。皆、もっともらしい理由をつけながら、自己の保身のため、私利私欲のために同志を裏切っていった。 もしも将来、こうした卑劣な人間が出たならば、手厳しく糾弾することだ。断固として戦い、打ち…

引越し完了

前ブログの記事を、ほぼ引越しすることができました。 新しいものを更新できるように努力していきます。 これからもよろしくお願いいたします。

婦人部代表者会議

ひな人形を見ると、思い出すことがある。 戦時中、私の家は4人の兄が兵隊に取られ、働き手を皆、失ってしまった。子どもたちがいなくなり、父はがっくりしていた。 そして、大好きだった長兄はビルマで戦死。母は、どれほど悲しんだか。それも、戦死の公報が…

9.8原水爆禁止宣言

「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」 1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長は横浜・三ツ沢の陸上競技場で開催された東日本体育大会「若人の祭典」の席上、…

創価大学・創価学園代表協議会

インドの世界的な農学者で、パグウォッシュ会議会長であるスワミナサン博士との対談集『「緑の革命」と「心の革命」』が、この4月、潮出版社から、いよいよ発刊の予定である。 暴力と貪欲の世界を「共生」と「調和」へと転換する地球革命が必要だ。そして、…

『新・人間革命』

戸田先生は、1957年(昭和32年)9月8日、あの原水爆禁止宣言を発表され、遺訓の第一として、その思想を全世界に弘めゆくことを、門下の青年に託された。 恩師は、間断なき世界の戦火や、暴政に涙する民衆の声なき声に耳をそばだてながら、しばしば、こう語…

婦人部代表者会議

人間を育てるには、「一人の人間」に対する、真剣で誠実な人格の啓発以外にない。 広宣流布という壮大なる人間教育運動にあっても、一人ひとりを大切に励まし、人材を育成できるのは、支部であり、地区であり、ブロックである。 そして、「一人」を育てるこ…

方面長会議

大聖人は、厳格に戒めておられる。 「わが一門の中でも、信心を貫き通せない人々は、(初めから信じないよりも)かえって罪があるのです。(地獄に堕ちて、その時)日蓮をうらんではなりませんよ。少輔房、能登房ら(退転した門下の末路)を、よくごらんなさ…

方面長会議

学会には、陰で黙々と支えてくださっている人がたくさんいる。 警備の仕事、屋外での整理や救護の役員、守る会の方々、そのほか、広布のために懸命に尽力されている同志を、サーチライトをあてるように探し出して、激励の手を差し伸べていく。 それが指導者…

方面長会議

私は、約十年にわたって、戸田先生にお仕えした。 戸田先生が事業に失敗され、再建へ苦闘しておられたときが、私にとっても一番苦しい時代であった。 莫大な借金。批判と中傷の嵐。さすがの先生も憔悴しておられた。 社員は、一人去り、二人去り、最後に残っ…

方面長会議

戸田先生は言われた。 「幹部だ。幹部で決まる。指導者が自分を変えるしかない」 権力を持つと、人間は魔性に毒される。 魚も頭から腐る。 組織も、ダメになるのは「上」からだ。 幹部は、常に常に「慢心」を排し、自身を変革していくしかない。 戸田先生は…

第2総東京代表協議会

戸田先生は、悪い人間に対しては、それはそれは厳しかった。 将来、学会の中から反逆者が出ることを予見され、「インチキな人間は追放しろ」と遺言のごとく語っておられた。 残念ながら、その後、同志のおかげで社会的に偉くなりながら、学会に反逆し、恩を…

第2総東京代表協議会

仏法の真髄もまた、師弟にある。 妙法流布の先頭に立ち、軍部権力の弾圧をはじめ、あらゆる大難と闘い抜いた牧口先生。 弟子の戸田先生は、牧口先生と一緒に牢獄までいかれた。そして、生きて牢獄を出て、学会の再建に立ち上がられたのである。 本当に偉大な…

全国代表協議会

戸田先生が「これは、よく拝しておけ!」と何度も厳しくおっしゃった御文がある。 それは、「竜の口の法難」の日の大聖人の御様子が認められた「種種御振舞御書」の一節である。 「日蓮は大音声で彼らに言った。 『なんと面白いことか、平左衛門尉がものに狂…

全国代表協議会

19世紀のスペインで、人権のために戦った女性、コンセプシオン・アレナルは言った。 「失敗から立ち上がる人は、失敗を犯したことのない人よりも偉大である」 一面の真理を突いている。 だれしも、失敗することはあるだろう。挑戦に、失敗はつきものである。…

全国代表協議会

牧口先生は、「同じ小悪でも、地位の上がるに従って次第に大悪となる」と述べておられた。 リーダーが、心していくべき指針である。 学会において幹部は、皆の模範となるべき存在である。その分、責任も重い。 常に自らを厳しく律していくことを絶対に忘れて…

全国代表協議会

「前進」と言えば、若き日の文京支部での戦いを思い出す。 当時、文京支部の折伏成果は、全国で最下位クラスであった。支部長は女性の田中都伎子さんだった。 田中さんから支部の窮状を訴えられた戸田先生は、こう言われた。 「僕の懐刀を送ることにしよう」…

最高協議会

幹部は同志のためにいる。 誠意を尽くせば、皆、気持ちがいい。反対に、つんとして、人の意見も聞かず、威張ってばかりでは、まるで"独裁者"だといわれても仕方がない。 もしも、将来、堕落の幹部が出たら、皆が厳しく正すことだ。 初代会長・牧口先生は「下…

最高協議会

日蓮大聖人の仏法は、「一人の人間革命」を成し遂げ、ついには全人類の宿命の転換をも可能にする「希望の大法」である。 しかし、せっかく、この大仏法にめぐりあいながら、何か起こると、心ゆらぐ弟子もいた。 いくら大聖人が弟子たちのために真剣に祈られ…

男子部と

大変だ! 男子部の本部で行っている、人材グループを壮年部の私が担当することになった。 本部長1人、部長0人という現状を考えると、何かやれることがあるのではないかと考えたからだ。 それに、この男子部U本部長のますっぐな目で訴えられると、断ることな…

最高協議会

戸田先生は言われた。 「こっちには信心があるからといって、手をこまねいていると、そこに油断がおきるのだ。戦いには必ず相手があるのだから、慎重に万全の対策を立てなければならない。 四条金吾が敵に狙われて危険な時、大聖人は至れり尽せりのご注意を…

最高協議会

原点に帰れ! ここに、すべての発展の道がある。 学会が80周年へ新しい道を開きゆく今、大事なのは、創立以来の原点である「師弟」の道に徹することである。 一生涯、師弟の道に徹しきる。 その輝く模範を、先輩は後輩のために残していっていただきたい。【…