第2総東京代表協議会


戸田先生は、悪い人間に対しては、それはそれは厳しかった。
将来、学会の中から反逆者が出ることを予見され、「インチキな人間は追放しろ」と遺言のごとく語っておられた。
ながら、その後、同志のおかげで社会的に偉くなりながら、学会に反逆し、恩を仇で返す卑劣な人間が現れた。
「人間の最大にして最多の悲惨は、不幸以上に人間の不正に基づいている。」とは、ドイツの哲学者カントの言葉である。
尊き同志をバカにし、陰に隠れて不正をなすような人間、私利私欲を貪るような人間を絶対に許してはならない。
また、フランスの文豪ロマン・ロランは、小説の中で綴っている。
「自分たちと同じようにひたすら正義のための熱意にうごかされているものとばかり彼らが信じていた人々、彼らのたたかいの僚友であった人々が、ひとたび敵が敗退するやいなや、利権に飛びつき権力を独占し、栄誉と地位とをかっぱらい、正義を踏みにじるありさまを彼らは見た」
こうした浅ましい、愚かな人間は、どこにでもいるものだ。
御書には「前車のくつがえ(覆)すは後車のいまし(誡)めぞかし」(1083頁)と記されている。
学会に仇をなし、反逆していった人間は皆、哀れな末路をたどっている。これは後世への戒めであり、重大な教訓なのである。
同じことを繰り返さないためにも、悪の根は断ちきっておかねばならない。そのためには正義の言論で、徹して戦っていくことだ。最後まで、容赦なく攻めぬくことだ。
悪と戦うのがリーダーである。
要領ではない。また、曖昧であったり、中途半端であってはいけない。
悪と戦わないのは、結局、悪と同じになってしまうのである。

【第2総東京代表協議会 2006.3.1付 聖教新聞


御書を学び、学会の歴史を学んでいくと、悪い奴の出てくる方程式は何も変わらないことがわかる。
大聖人の時代にも、反逆者はいた。学会の中も同じである。
大事なことは、悪を見抜いていくことができるのかどうか。正義の言論の声を、あげることができるのかどうかだ。
最近多いのは、会合型信心の幹部。自分の戦いは置いておいて、会合に参加することだけに命を燃やしている。前でしゃべるのが大好き。その上、会員さんに会合参加を強要する……愚癡です。(笑)


会合に参加することは大事なことだ。会合とは法座であり、信心を深めていく場であるのだから。
しかし、そうなっていない場合は、声をあげるべきだ。
四国の永遠の指針は、このブログ名「楽土建設の革命児たれ!」だ。
「革命児」とは、主体者・改革者の異名である。
声をあげろ!下から上を動かせ!
断固たる“勇気の声”を響かせていきたい。