「第四回四国総会」2


昭和30年(1955年)高知を訪れた戸田先生は、この地が生んだ自由民権運動の闘士・板垣退助中江兆民にふれて指導された。先生は、この地に民衆の力による時代変革の息吹を感じておられた。明治維新の総仕上げをした気迫をたたえておられた。
今また、友情のネットワークで“賢明なる民衆”の育成を願った「民衆賢人運動」、新たな「民権運動」を展開されることに、私は賛辞を送りたい。
牧口先生も、民衆を賢明にすることに生涯をささげられた。教育革命を通し、そして宗教革命を通して――。これは法の目的そのものと合致している。
四国は、「賢明なる民衆」の団結で、「新たなる歴史の旭日」を、いよいよ輝かせていただきたい。

【第4回四国総会 1993-12-3 四国文化会館 「池田大作全集」第84巻16頁】


1994年(平成6年)8月「全国離島教育者ネットワーク」の第1回の教育実践報告大会が開催されました。
このことが、この総会の前に開かれた「四国最高会議」で決定され、徳島では「環境と開発展」と同時に「森と水のサミット」の開催が決定していたのです。
先生は「香川には、『二十四の瞳』の舞台・小豆島がある。教育の香川にふさわしい、素晴らしいアイデアと思う。」と述べられ、「新たな民権運動」の展開と紹介してくださっているのです。


この総会から13年、新たなる歴史を刻むことができたのか……。
私は、この年の10月に地元の部の部長の任命を受けた所であった。私の体験にも書いてあるが、この後ぜんぜん活動のできない状態になってしまった。
当時、部を支えてくれたM副部長、T副部長、各地区の地区リーダーの方には本当に感謝している。皆私より年上のメンバーであった。
この後、どん底まで落ちた時に、本気で「生涯不退転」の腹が決まった。発心から10年かかった。そのとたんに私生活も学会活動の取り組みも大きく変わった。人間の一というものはすごいものだ。
特に青年部のメンバーには知っていただきたい。「頭では分かっている」というのが、いかに怖いことかということを……。


学会は組織ですから「戦いの打ち出し」がありますが、言われてやるものではありません。
いかにこの共同目標(打ち出し)を利用して戦いに望むのか、いかにメンバーのやる気を引き出すのかが大事です。
自主・自立の無いところに、成長は無し!
自分自身が最高に輝き、皆を牽引できなくては戦う意味がない。
長であるとか、正だ副だとかは全然関係ない。どの立場であっても強き信心だ。強き信仰心と行動力だ。
師に学べ!  指導を学べ!
師匠は全てを残そうとされている。
答えることのできるのが弟子だ!