「第四回四国総会」1


事実の上で、歴史を前進させるのはだれか――。それは民衆である。名もなき庶民である。有名人でもなければ、権力欲の政治家でもない。地位もなく、巨富もなく、名声もなくとも、日々を真剣に生きる民衆の力である。
民衆ほど偉大なものはない。民衆ほど強く、永遠のものはない。
戸田先生は、そのことを見抜いておられた。だから民衆をだれよりも大切にされた。
その心を受け継いで、私は限りなく民衆を愛し、守り、大切にする。一生涯、ただ民衆とともに歩む。ゆえに私は、何ものも恐れない。
この「民衆が中心となる時代」――。それこそが「広宣流布の時」であり、真の「人間主義の時代」である。その時代を開くために、私は戦っている。民衆の一人として、民衆の友として、奔走している。世界に「民衆の友情の大道」を開こうとしている。

【第4回四国総会 1993-12-3 四国文化会館 「池田大作全集」第84巻14頁】


第四回四国総会。たしか「四国栄光総会」という会合名であったように思う。
私は、この場には参加することはできなかったが、地元のO先輩(当時男子部・分県書記長)が万歳をされ「庵治研修道場、最高です」と叫んだ。
四国文化会館が会場なのに……。(笑)
このO先輩、いつもこちらがよろける位の勢いで、先生への熱き思いを語ってくれていた。口癖は「わしらがやらな、誰がやるんや!」でした。
今は隣の支部支部長、私にとっては、何でも相談することのできる、数少ない先輩の一人です。
私は、運営役員として2日着任し、最終日に「役員勤行会」で先生と共に勤行をさせていただきました。
前にも書きましたが、溢れる涙をこらえることができなかった……。
自分の歴史の大切な1ページだ。


このとき池田先生は「咸臨丸」の太平洋横断の歴史をひもとき、この航海を支えたのが、香川の塩飽(しわく)諸島の出身者(水夫50人中35人)であることを語られ、歴史的偉を陰で支えた、このような民衆・庶民をたたえたいと言われました。


四方に海をもつ四国である。だからこそ「四方に開かれた四国」である。世界へ、世紀へと希望の橋を、幾重にも架けていただきたい。【第4回四国総会  同】


池田先生の戦い「民衆の友情の大道」は、200の名誉学術称号を初め、考えられないぐらいに広がった。
出来上がった組織の中で戦っている自分はどうだ!  恵まれすぎてはいないか!
小さなことでウジウジ言っているひまはない。
地域広布の歴史を、着実に一つ一つ刻んでいきたい。