青き天地 四国賛歌

1987年11月6日
私は 待った
金波の横浜港を眼前に望む
神奈川文化会館の一室の窓辺より
双眼鏡を手に
待ちに 待った
はるか彼方より
さんふらわあ7」号の船上には
愛する四国の求道の友 一千人
はるばると また はるばると
その“真実一路”の来港を
地元・神奈川の友とともに
私は 待った


時に昭和55年1月14日
四国・神奈川交流幹部会であった
すべるように入港する大船
「こんにちは!」
「ようこそ!」
交わされる温かき言葉と言葉
握り合う暖かな手と手
高らかな歓迎の学の曲


ああ あなたたちは
とうとうやってきた
私は花束を携え
桟橋へと足を運んだ
その時の
あなたたちの瞳の
何と すずやかな
何と 晴れやかな


ああ 思えば
あの時 私は障の只中にいた
正信という名の仮面をかぶった
邪信と邪智の徒の跳梁が
私と同志との間を裂こうと
恐るべきの手を
十重二十重に張りめぐらせていた


四面に楚歌を聞くなか
一条の光芒が
漆黒の闇を射ぬくかのように
黒潮に乗り
太平洋の波をけたてて
あなたたちはやってきた
その久遠よりの縁の
尊き晴れ姿をば
私は 生涯 決して忘れない


その夜 星辰のまたたくなか
帰路につくあなたたちの船を
惜しみつつ見送りながら
十階の窓はるかに
私は 手にした懐中電灯を
何度も またいつまでも 振っていた
この小さな光よ
求道の子にとどけと
いつまでも いつまでも 幸多かれと
祈り 振った


群青の青い海
紺碧の青い空
緑重畳たる山また山
ああ 南国の「青い国」の四国よ
その大自然に包まれし天地に
昭和三十年一月
まだ 朔風肌をさす冷気のなか
私は 恩師と共に
初の足跡を印した


結成まもない高知地区総会
山内一豊ゆかりの高知城
指呼の間に望む
土佐の乙女の由緒ある学舎に
草創の老若男女一千近く
名もなく 位もなく
身なり貧しくとも
みな 求道の息吹やみがたく
意気軒昂と集いたり


その 凛々しくも不敵な顔に
私は 思った
かつて 維新回天の
礎となりしこの地こそ
まことの幸の果実を実らせゆく
広布要衝の地にならんかと


倒幕・維新の大立者 坂本竜馬
自由民権の闘士 板垣退助
東洋のルソー 中江兆民
海外交流の先駆者 ジョン万次郎
反骨の反戦詩人 牧村浩
歴史にあまた偉材を送りし土佐
四国広布の魁の波も
ここ高知の地から始まれり


柿本人麻呂が 紗弥島を読みし讃岐
源平の古戦場 屋島 壇ノ浦
今 四国四県の枢要の地となりし香川


塩と藍
華やかな阿波の踊り
渦潮と祖谷の秘境と―
そして 蜂須賀公ゆかりの徳島


ミカンを産し
古来 文物を愛し親しみ
子規 虚子らの俳人の故地にして
文豪・漱石の足跡と
最古の湯・道後を今に伝える愛媛


かく 多様にして多彩の地・四国に
妙経の第一歩を印してより
ここに 三十余年―
今 この地に林立する宝幾十万
我らが広布の法戦は
津々浦々にまで広がった


都市の街並みはいうに及ばず
人里離れた 山間のあの村にも
浜辺のこの町にも
船足まばらな あの島にも
嬉々として「信心即生活」に励みゆく
“信仰王者”にして“人間王者”
幾百 幾千の
同志の笑顔が広がっている
かの満開の椿の花のように


なれど
なれど あなたたちよ
私は 知っている
否 誰よりも知っているつもりだ
今日の隆盛の来し方には
言語を絶する
岩盤に爪を立てるのにも似た
百折不撓の戦いのありしを


「法自から弘まらず」
ローマは一日にして成らず


陽光明るき南国の地なれど
遍路の鉦の哀音は
八八ヵ所 札所に響き
四国の山河にしみ入れり
その澱のごとき堆積は
時に 神習合の幣を生み
旧習 陋習の基として
国土と衆生を蝕みて
冥きより冥きへと生命を誘えり


この巨大な壁を前にして
あなたたちは 臆せず 立った
積年の厚い壁を突き破り
よく 常楽の花園を望みうるは
ただ“無常断破の利剣”のみと
まっしぐらに走った
法は勝負」
「冬は必ず春」
の御金言を抱きしめて
ひたむきに 走り続けた
尊い 愛するあなたたち


無智と偏見 邪智と邪見
悪口と中傷 嫉妬と怨恨
その無数の槍に囲まれながら
冥の照覧を信じ
まっしぐらに 走り続けた
いじらしくも 健気なあなたたち


あろうことか
ある時は
背後から弾丸を撃つがごとき
違背の法師らの卑劣極まる罵詈罵倒
三位房の流類なるか
はたまた大進房の余流なるか
妙の軍勢を内より分断せんとする
法師の姿をした畜の眷属
ここ 緑の四国の天地にも
我のみ賢しと
上慢の姿して 競い起こる


だが――
だが――
あなたたちは負けなかった
悔し涙にくれながら
憤怒の炎をしずめながら
耐えに 耐えた
こらえに こらえた
そして ついに 勝った
信心で勝ったのだ
私のねぎらいに
涙もて応えるあなたたちの
凱歌の顔容が
私には眩しかった


私は 確信してやまない
その信仰王者の頭上に
諸天の加護は 必然だ
の賛嘆は 必然だ
大聖哲の御おぼえも
また めでたからんことを


おお 来し方三十余年―
長いといえば長く
短いといえば短かった共戦の幾星霜


東西南北の四方に通ずる四国
菩薩 四箇の格言の数にも通ずる四国
その 愛する四国の友と
共に笑い 共に涙し
共に汗した あの日 あの時
今 私の胸には
一幅の名画にも似た数々のシーンが
走馬灯のように 駆けめぐる


知る人ぞ知る―
広布史に不滅の金字を打ち立てた
三十一年 関西の大法戦
四国の友も
草創の大阪支部の陣列に連なった
そして
未曾有の勝利の一翼を厳と担えり


また その翌年
権力の性が私を捕縛せし時も
あなたたちは
船と列車を乗り継ぎ 駆けつけ
正義の怒りもて
私の無実を叫んで下さった


ああ
尊きかな 人の誠
人間の心を動かすものは
人間の心である
私は あなたたちとの
この尊き広宣の歴史をば
決して 決して忘れはしない


あなたたちの
不惜の弘教の転戦は
渓流が大河となるごとく
点から線へ 線から面へ
広布の水脈を確実に豊かにした


私も時間をこじあけ
四国に足を運びしこと二十数回
草創の支部の結成に
相次ぐ法城の落成に
前進の節刻みし幹部会に
思い出とどめる記撮影に
そして
四国広布の第二ラウンドに向け
送りしモットー
「楽土建設の革命児たれ」


車中で作りし「我らの天地」
二十回に及ぶ推敲を経し「紅の歌」
更に 更に
創作劇「咸臨丸」に
歓喜の船出託した’71四国文化祭


そして
新・坊ちゃんの
コミカルな演技に腹を抱えた
愛媛青年平和文化祭
人間ブリッジ“大鳴門橋”に喝采した
徳島青年平和文化祭


おお
すばらしきかな 四国の青い海よ


あなたたちよ
ある時は
瀬戸の内海の凪のように
静かに ゆったりと
何ごとにも 何ものにも紛動されぬ
澄みきった鏡のごとく
透徹せる“汝自身”を
磨きに磨いていってくれ給え


また ある時は
桂浜にて 胸張り竜馬が
足摺岬にて 美宇凛然と万次郎が
はるかに遠望せる
太平洋の怒涛のように
雄々しく 力強く
そして ダイナミックに
この栄えある法戦を
力の限り戦いぬいてくれ給え


そして 愛するあなたたちよ
何よりも 海の深さを知るのだ
ある文豪いわく
「波にまかせて 泳ぎ上手に
雑魚は歌い雑魚は踊る
けれど 誰か知ろう
百尺下の水の心を
水のふかさを」


毀誉褒貶は世の定め
一喜一憂するは愚者の常
我ら 賢者は
ほめられようが けなされようが
屹立してゆるがず
労をば
己の大慈大悲の所与として
勇んで 前へ進みゆけ
徹して 自信を深めゆけ
その深き人格の完成なくして
人生最終章の勝利もまた
ありえないからだ
ゆえに 賢聖は
「浅きを去って深きに就くは
丈夫の心なり」と
丈夫の道とは
誠の信仰の勇者の道だ


おお
すばらしきかな 四国の青い空よ


賢くも 古人は
大空を 太虚といった
涯を尋ねて窮まりなき蒼穹
それは
わだかまりなく
宇宙大に広がりゆく
我らが大境涯の異名なのだ


目を世上に転じて見れば
四悪趣に繋がれし衆生
真の喜びなく 下を向き
真の希望なく わびしく歩く
愚痴は愚痴を呼び
すきあらば術数をこととして
常に 湿地帯を好む


あなたたちよ
我らが精進の日々は
断じて 断じて
そうあってはならない
うち続く試練に
くじけそうになった時は
天空を仰ぎ
大きく 息を吸ってみることだ
王者赫々たる太陽の笑顔が
必ずや励ましてくれるにちがいない


おお 活動の帰路
ふと仰ぐ あの星座のまたたきは
渾身の激励に
疲れはてたあなたの心に
快い癒しの幽光を
なげかけてくれるにちがいない


「海よりも大いなるもの
それは空
空よりも大いなるもの
それは人の心」
と謳いし文豪がいた


「上求菩提」にして「下化衆生
我らは
宇宙大の境界めざして
湿地帯に別れを告げ
上を向こう
上を行こう
そして 尊い如来の遣いとして
悩みの友 嘆きの友と
朗らかに語り 真剣に語ろう


おお
偉大なるかな 緑なす四国の山々よ
緑とは 生命の色である
緑とは 民衆の色である
四辺・国土が
萌え出ずる緑に覆われゆく様は
勃興する民衆のエネルギーが
その躍動する歓喜
澎湃として
歴史を塗りかえゆく姿に似ている
民衆の声を
誰も無視することはできぬ
民衆の力を
誰人たりとも抑えることはできぬ
そして 我らは
永遠に民衆の側に立っていくのだ


なればこそ
君たちよ あなたたちよ
民衆の
民衆による
民衆のための
この未曾有の民衆革命を
遅滞なく推し進めゆくために
「団結」の二字を
夢寐にも忘れてはならない


重畳たる山々の緑も
決して単色ではない
杉もある 檜もある
松もあれば 櫟もある
様々な雑木 雑草もある
それらが 交ざり合い 重なり合い
かつ 競い合って生む
混成の美だ
団結の証だ
我らが生命のルネサンス
かく あらねばならない


四国の大地を
縦に横に綾なす山並み
四県が接する四国山地
かつては 諸藩 諸県を隔てていた
天然の障壁も
今は 「四国は一体」と結びゆく
天与の回路となりゆかんか
ああ これぞ まさしく
妙法蓮華経の鉄囲山である


進取の高知
温厚の愛媛
堅実の徳島
不撓の香川


それぞれが それぞれに
異体を同心とした金の絆も固く
桜梅桃李の法理のままに
爛漫と咲き薫ってくれ給え


おお 見よ!
比類なき 足摺の日の出
静寂満つ
暁闇を切り裂くように
岬の稜線に 荘厳なる空は広がる
転瞬――
満を持したる 光彩の爆発だ
無数の黄金の矢を放ちつつ
無限のエネルギーをはらみつつ
火球の踊り出ずるかのように
日輪は
みるみる 大海を
金と銀の色に染めたり
なべての大空間を
燃えるがごとき光沢で
宝石と 飾りぬ


おお
大自然の壮大なる演出
いかに 人工の巧みを尽くそうとも
とうてい比肩しえぬ
大いなる バイタリティーのドラマ
高知研修道場より望見せし
かの足摺の日の出が
私は 私は大好きだ
日本一の
“午前八時の太陽”だ


太陽は 悠々と昇りゆく
街並みに 夜明けを告げ
四国山系の山際も鮮やかに
万人を 万物を 万象を
笑みもて包みながら
中天めざして
今日もまた 悠々と昇りゆく


やがて 彼の眼前に開けゆく
パノラマのような
瀬戸内の大自然の景観よ
そこに 新たに描きこまれた一点景
紺青の海面に
巨大な白い弓のごとき姿して
くっきりと輪郭を輝かせる
瀬戸の大橋
本州と四国を結び
開通を間近にひかえしその雄姿は
青き天地・四国の
新たな力ある時代のシンボルとなった


さあ!
四国の友よ!
愛する君たち あなたたちよ!
一人たりとも
この常楽我浄
陣列に遅れてはならない
一人たりとも
万年の大道を歩みゆく
更には 三世永遠の
幸の幸福の軌道から外れてはならない


朗らかに また朗らかに
楽しく また楽しく
語り合いながらの
威風も堂々とした
人生と広布の前進を
心から私は祈り 望みたい


1987年11月6日


本部別館にて
四国の友のご多幸と
ご長寿を祈りつつ


【「青き天地 四国賛歌」 1987-11-6 池田大作全集 第40巻 367頁】