2006-01-01から1年間の記事一覧

『新・人間革命』

戸田先生は、1957年(昭和32年)9月8日、あの原水爆禁止宣言を発表され、遺訓の第一として、その思想を全世界に弘めゆくことを、門下の青年に託された。 恩師は、間断なき世界の戦火や、暴政に涙する民衆の声なき声に耳をそばだてながら、しばしば、こう語…

婦人部代表者会議

人間を育てるには、「一人の人間」に対する、真剣で誠実な人格の啓発以外にない。 広宣流布という壮大なる人間教育運動にあっても、一人ひとりを大切に励まし、人材を育成できるのは、支部であり、地区であり、ブロックである。 そして、「一人」を育てるこ…

方面長会議

大聖人は、厳格に戒めておられる。 「わが一門の中でも、信心を貫き通せない人々は、(初めから信じないよりも)かえって罪があるのです。(地獄に堕ちて、その時)日蓮をうらんではなりませんよ。少輔房、能登房ら(退転した門下の末路)を、よくごらんなさ…

方面長会議

学会には、陰で黙々と支えてくださっている人がたくさんいる。 警備の仕事、屋外での整理や救護の役員、守る会の方々、そのほか、広布のために懸命に尽力されている同志を、サーチライトをあてるように探し出して、激励の手を差し伸べていく。 それが指導者…

方面長会議

私は、約十年にわたって、戸田先生にお仕えした。 戸田先生が事業に失敗され、再建へ苦闘しておられたときが、私にとっても一番苦しい時代であった。 莫大な借金。批判と中傷の嵐。さすがの先生も憔悴しておられた。 社員は、一人去り、二人去り、最後に残っ…

方面長会議

戸田先生は言われた。 「幹部だ。幹部で決まる。指導者が自分を変えるしかない」 権力を持つと、人間は魔性に毒される。 魚も頭から腐る。 組織も、ダメになるのは「上」からだ。 幹部は、常に常に「慢心」を排し、自身を変革していくしかない。 戸田先生は…

第2総東京代表協議会

戸田先生は、悪い人間に対しては、それはそれは厳しかった。 将来、学会の中から反逆者が出ることを予見され、「インチキな人間は追放しろ」と遺言のごとく語っておられた。 残念ながら、その後、同志のおかげで社会的に偉くなりながら、学会に反逆し、恩を…

第2総東京代表協議会

仏法の真髄もまた、師弟にある。 妙法流布の先頭に立ち、軍部権力の弾圧をはじめ、あらゆる大難と闘い抜いた牧口先生。 弟子の戸田先生は、牧口先生と一緒に牢獄までいかれた。そして、生きて牢獄を出て、学会の再建に立ち上がられたのである。 本当に偉大な…

全国代表協議会

戸田先生が「これは、よく拝しておけ!」と何度も厳しくおっしゃった御文がある。 それは、「竜の口の法難」の日の大聖人の御様子が認められた「種種御振舞御書」の一節である。 「日蓮は大音声で彼らに言った。 『なんと面白いことか、平左衛門尉がものに狂…

全国代表協議会

19世紀のスペインで、人権のために戦った女性、コンセプシオン・アレナルは言った。 「失敗から立ち上がる人は、失敗を犯したことのない人よりも偉大である」 一面の真理を突いている。 だれしも、失敗することはあるだろう。挑戦に、失敗はつきものである。…

全国代表協議会

牧口先生は、「同じ小悪でも、地位の上がるに従って次第に大悪となる」と述べておられた。 リーダーが、心していくべき指針である。 学会において幹部は、皆の模範となるべき存在である。その分、責任も重い。 常に自らを厳しく律していくことを絶対に忘れて…

全国代表協議会

「前進」と言えば、若き日の文京支部での戦いを思い出す。 当時、文京支部の折伏成果は、全国で最下位クラスであった。支部長は女性の田中都伎子さんだった。 田中さんから支部の窮状を訴えられた戸田先生は、こう言われた。 「僕の懐刀を送ることにしよう」…

最高協議会

幹部は同志のためにいる。 誠意を尽くせば、皆、気持ちがいい。反対に、つんとして、人の意見も聞かず、威張ってばかりでは、まるで"独裁者"だといわれても仕方がない。 もしも、将来、堕落の幹部が出たら、皆が厳しく正すことだ。 初代会長・牧口先生は「下…

最高協議会

日蓮大聖人の仏法は、「一人の人間革命」を成し遂げ、ついには全人類の宿命の転換をも可能にする「希望の大法」である。 しかし、せっかく、この大仏法にめぐりあいながら、何か起こると、心ゆらぐ弟子もいた。 いくら大聖人が弟子たちのために真剣に祈られ…

男子部と

大変だ! 男子部の本部で行っている、人材グループを壮年部の私が担当することになった。 本部長1人、部長0人という現状を考えると、何かやれることがあるのではないかと考えたからだ。 それに、この男子部U本部長のますっぐな目で訴えられると、断ることな…

最高協議会

戸田先生は言われた。 「こっちには信心があるからといって、手をこまねいていると、そこに油断がおきるのだ。戦いには必ず相手があるのだから、慎重に万全の対策を立てなければならない。 四条金吾が敵に狙われて危険な時、大聖人は至れり尽せりのご注意を…

最高協議会

原点に帰れ! ここに、すべての発展の道がある。 学会が80周年へ新しい道を開きゆく今、大事なのは、創立以来の原点である「師弟」の道に徹することである。 一生涯、師弟の道に徹しきる。 その輝く模範を、先輩は後輩のために残していっていただきたい。【…

女子部・婦人部合同協議会3

すべてが、自分自身の「人間革命」から始まる。 人がどうあれ、周りがどうあれ、自分自身が、生き生きと、伸び伸びと、さわやかに成長していけば、そこから、一切は開けていくのである。中略不正や嘘に対して、黙っていてはいけない。女性だからといって遠慮…

女子部・婦人部合同協議会2

私は今、20年先、30年先、50年先のことを考え、さまざまな構想を進めている。 アメリカ創価大学などの教育機関の充実をはじめ、各国のSGIの発展など、その構想は多岐に及んでいる。先の先を考えている。 私は、戸田先生の時代から、わが身のすべてをなげうっ…

日記

今日はわが地区のNさんの葬儀だった。享年81歳 昨夜は、通夜の導師をおおせつかり、真剣に回向させていただいた。 縦線の時代には、班長をされていた方だ。 壮年部になってまだ1年の私は、あまり話をしたことが無かったが、もっと昔の話をお聞きしたかったな…

「届け人 〜message〜」

朝日(ひ)も昇らない 街はまだ夢の中 白い息目をこらし走り出す かじかむ手握りしめ 一歩づつ 一歩づつ 尊き同志(とも)の待つその場所へ 健康への願い 無事故の祈り 見知らぬすべての人の幸せ がんばれる意味は とても尊いもの 使命を感じているから 雨の…

随筆「人間世紀の光」106

妙法は絶対である。 その無量無辺の仏力・法力を引き出すには、師子奮迅、祈って戦う以外にない。 ―戸田先生の事業が窮地にあった時期、私は、難局を打開するため、身を粉にして戦った。無理に無理を重ね、体調も最悪であった。 ある日、先生は、そんな私を…

引越し中

前のプログから、引越ししています。 つたない内容ですので、記事を移動していく中で、少しずつ修正しています。 もともと文才が、あまり無いほうなので、お恥ずかしい限りです。 新しい記事をアップするところまでは、行っていませんが、がんばって書き込ん…

庶民の和楽と栄光の四国

正義の歌声よ 世界に轟け! ある日、戸田先生は、弟子たちとの懇談で言われた。 「人生、四十代になってみないと、勝敗はわからないよ。 特に女性はそうだ。 いな、人生の最終章の時に、どのような状態であったかで、一生の幸、不幸が決定される」 さらに、…

― 随筆『新・人間革命』 ―この勇敢なる弟子に、信じあえる同志に、私は、なんとしても応えねばならないと、涙に濡れた。ここから、私の四国への御恩返しの訪問の決意は、1日1日、限りなく深まっていった。【庶民の和楽と栄光の四国 「正義の歌声よ 世界に轟…

― 求 道 ―師を求めるにも、求めるすべてを奪われてしまったその悔しさと寂しさ。何もできない今の状況を何とかしたい。 何かをして「池田会長」との心の触れ合いをもちたい。四国の友は閉塞した状況の中で、師を求める道を探った。 そして、一筋の道を見つけ…

― 神奈川文化へ ―5月3日のこの日、先生は創価大学から、神奈川文化会館へ向かわれました。神奈川文化会館に到着されると、 「急で悪いね。また、少しお世話になります。でも私は、以前と少しも変わっていないよ!」と…。 「もう、これは要らなくなった。皆に…

― 本部幹部会 ―昭和54年4月25日 広宣会館で、本部幹部会が行われましたが、先生用の椅子が並べられていませんでした。H川副会長(当時墨田区長)が指摘すると、担当役員が 「先生がいらないと言われたので」と 「そんなことはおかしいじゃないか、用意して…

― プロローグ 四国にて ―1976年(昭和51年)夏、愛媛・大洲の神力寺を皮切りに、四国全体で第一次宗門問題が勃発。 K副会長(当時四国県長)談―― 1978年(昭和53年)12月、高知研修道場(現土佐清水会館)の完成に伴い、池田会長(当時)が高知入りされました…

このプログは、創価学会員である、 − くすのき − が個人的に作成しているものです。 所属・四国の香川池田正義県紅本部。壮年部・40歳。 「楽土建設の革命児たれ!」 この言葉は、我が人生の師匠である、創価学会池田SGI会長が「四国の永遠の指針」として発…