庶民の和楽と栄光の四国

正義の歌声よ 世界に轟け!


ある日、戸田先生は、弟子たちとの懇談で言われた。
「人生、四十代になってみないと、勝敗はわからないよ。
特に女性はそうだ。
いな、人生の最終章の時に、どのような状態であったかで、一生の幸、不幸が決定される」
さらに、「正しき法は、総仕上げの時に勝利できる法である。ゆえに、信仰は絶対に必要なのである」とは、牧口先生の言である。


その日、私は、関西から、空路、四国の徳島に入った。
1981年(昭和56年)の晩秋のことである。
空は晴れていたが、風は冷たかった。
学会もまた、厳しき烈風に囲まれていた。
毒蜘蛛のごとき、背信と忘恩の輩による学会破壊の謀略の網は、無数の会員を締め付け、悩の闇に陥れた。
なかでも、四国は、陰険なる坊主が、邪悪な牙を剥き、衣の権威をカサに、魂の圧殺ともいうべき、弾圧を繰り返していたのである。
私もまた、名誉会長に就任して二年半、わが同志のもとへ、まったく、自由に動くこともできない状況が続いていた。
しかし! その大難のなかから、師子は立った。
鉄の鎖を断ち切り、師子は、激流に抗して、極悪への反転攻勢の前進を、勇躍、開始したのだ。


思えば、その前年(1980年=昭和55年)香川、高知、愛媛、徳島の四県の千名の友が、私の待つ横浜の港へ、はるばると白亜の客船「さんふらわあ7号」で駆けつけてくださった。当時、“学会丸”に襲いかかる荒波をものともせず、波涛を越えて――彼らは、意気軒昂であった。
ああ、この尊き同志よ!
私は、桟橋に出て、お一人おひとりに合掌し、抱きかかえる思いで迎えた。
広宣流布に励みゆく方々おば、「当に起って遠く迎うべきこと、当にを敬うが如くすべし」とは、「御義口伝」に仰せの「最上第一の相伝」(御書718P)である。
皆が帰途についた時には、神奈川文化会館の窓辺で、私たち夫婦は、船が見えなくなるまで、懐中電灯を振って見送りもした……。
この勇敢なる弟子に、信じあえる同志に、私はなんとしても答えねばならないと、涙に濡れた。ここから、私の四国への御恩返しの訪問の決意は、一日一日、限りなく深まっていった。


あの海の微風が吹く、徳島での会合の時。はつらつとした、婦人部の「若草合唱団」の皆さまが、ベートーベンの「第九」の“歓喜の歌”を、美しい花園のなかで、清く明るく、晴れやかに、歌ってくださった。もちろん、ドイツ語である。
ここ徳島が、日本における「第九」の初演(1918年=大正7年)の地であることは、今でこそ有名だが、当時は、一般には、あまり知られていなかった。その物証となる、初演のプログラムが徳島で見つかったと発表されたのは、翌年のことであった。


合唱する彼女らの目には、珠玉の涙が光っていた。
そして眠りから覚めた天子のごとく、残忍な輩を見下ろし、楽しい賑やかな翼に乗って、幸福の武装をしながら飛び立った。
彼女らは、生き生きと勝ったのである。
――この九年後、狂気と化していった愚昧なる宗門が、学会攻撃の材料としたのが、奇しくも、ドイツ語で歌った“歓喜の歌”であった。


若き指導者たちの男子部の愛唱歌「紅の歌」が誕生したのも、同じく、この四国であった。
それは、満月が郷愁を感じさせる、静かな夜であった。
徳島から、香川の研修道場に移ったあと、当時、四国青年部長だった和田興亜君が、四国男子部の歌を作りたいと、歌詞の案を持ってきた。
彼らは、夜を徹して作ったのだろう。目が赤かった。
「よし、君たちのために、私が手伝おう!」と、私は決めた。
私の心は、一心不乱となった。幾度となく、推敲に推敲を重ねていった。
巡り歩きながら、完成の目標に向った。久遠の静かな輝きの月に照らされつつ、一行、また一行と、誇らかにペンを走らせた。
弟子たちは、深い喜びと、自らの進路を確かめるがごとく、見事な完成を懇願するような顔で見つめていた。


ついに、積雲が裂けた!
そこから、燃え上がる空が輝いてきた。曇った心を突き抜けて、永遠の我らの確固たる歌声の鼓動の響きが、胸を走った。


ああ紅の 朝明けて
魁 光りぬ 丈夫は……


「子よ大樹と 仰ぎ見む」の一行には“後継の青年よ、私よりも、もっと大きく成長せよ!”との願いを込めた。
また、「老いたる母の 築きたる」とは、あまりにも尊貴な学会婦人部に捧げた一節である。
いつしか、この明るく清らかな心に照らされた、青年たちとの思い出の推敲は、二十数度にも及んでいたようだ。


完成した「紅の歌」の力強い音律は、新たな世紀へ、勇者と勝利者としての、熱き魂のリズムと化していった。
最後の一歩まで、勝ちゆかんとする、正義の四国の同志は、敢然と立ち上がった。傲慢な権力を倒して、平和を築け!傲慢と、陰険と恥さらしの輩と、決別せよ!
“われら広布の同志には、内と外に区別はない!”と、高らかに、過去より未来へ向って、活発なる決意の警鐘を鳴らし始めた。
ついに、四国は、不滅の大船となりて、暗闇の暗礁から船出した。声高らかに、我らの賛歌を歌い、進み始めた。新世紀へ、新時代へ、四国の庶民の団結は、断固として、勝ち始めていったのである。
今でも、栄光のドラムの音は、ますます激しく鳴り響いている。
四国は勝った!
これからも永遠に勝っていくことを、私は信じたい。
「自由」と「平等」と「友情」と「広布」のために!

【随筆『新・人間革命』 1999.3.5 池田大作全集129巻365P】】