「歓喜の歌」響く徳島

喜べ喜べ! 人生を勇気で勝て!


「国々の国歌はあるが、人類の国歌はない」
アメリカの良”と敬愛され、私の親しい友人でもあったノーマン・カズンズ氏は、かつて、こう指摘された。


「戦乱と分断の二十世紀」から「平和と共生の二十一世紀へ」――。今ほど、国家や民族の差異を超えて、人びとのを結ぶ“人類識の歌”が必要な時代はない。
あえて言えば、楽聖ベートーベンの交響曲「第九」の「歓喜の歌」が、それに近いのではないだろうか。“歓喜の優しき翼のもと、すべての人びとは兄弟(はらから)となる”とうたい上げた、あの不滅の歌声が――。


「第九」といえば、私は懐かしき四国の徳島をい出す。
1918年(大正7年)の6月1日、第一次世界大戦で捕虜となっていたドイツ兵たちが、「坂東俘虜収容所」(現・鳴門市大麻町)で、「第九」日本初演となったことは、今では、あまりにも有な歴史である。


その徳島へ、私は、大阪から空路、見えない偉大な力に引かれるように飛び込んだ。
1981年(昭和56年)の11月9日のことである。
午後3時前、空港に降り立つと、直ちに、わが同志の待つ、徳島講堂に駆けつけた。
同志との記の勤行会は、その日に2度、翌日に1度、計3回にわたった。
生命と生命が触れ合った、あの雷鳴のような大拍手、真珠のような涙、天使のような笑顔は、生涯、わが胸から離れることはないだろう。
この動的な、民衆決起の集いのなかで、婦人部の「若草合唱団」の皆様が、太陽のごとく女王のごとく歌ってくださったのが、ベートーベンの「歓喜の歌」だったのである。
当時、宗門と反逆者は、私を追い落とし、広布と学会を破壊するために、私を策謀の鎖で、がんじがらめにしていた。
また、徳島の同志も、邪の坊主のために、どれほどしめられてきたことか。どんなに悔し涙を流してきたことか。
この徳島訪問こそ、邪悪な鉄鎖を断ち切り、正義の師子が立ち上がる突破口となったのである。
えば、「歓喜の歌」の源泉である、詩人シラーの頌詩「歓喜に寄す」(1785年作)には、当初、「暴君の鎖を解き放ち」という一節があったそうだ。
我らの「歓喜」の翼は、邪な権力の束縛を解き放ち、魂の自由の大空に飛び立ったのである。


本来、「第九」は、天界の喜びの花々に包まれて誕生したわけでは、決してない。
当時の社会を見れば、ナポレオン戦争が終わったあとの、反動的な権力政治が自由を圧迫した暗黒時代であった。
自由を愛する共和主義者として知られたベートーベンには、常時、警察の監視がついていたし、一度などは、実際に留置されたこともあったようだ。
彼自身も、病やスランプや親族の悩みに悶えていた。
「喜びは、悩の大木にみのる果実」とは、文豪ユゴー言である。
ベートーベンは、懊悩の溶鉱炉から、永遠なる歓喜の宝光を輝かせていく。
今こそ、重き悩の雲を吹き払え! 鉄の鎖を断ち切れ!
断固として、夜明けの光を、新しき希望の歌声を!
彼は叫んだ。
――もっと快い、もっと喜びに満ちたものを歌い出そうではないか!
悩を突き抜けて歓喜へ!


「わがは本来、なり!」「我ら広布の大使命に生まれたり!」と自覚することこそ、無上最高の喜びである。
それを、大聖人は、「歓喜の中の大歓喜」(御書788頁)と仰せである。
煩悩即菩提」である。試練に負けず、勇気をもってに打ち勝つ、その時、自分らしい「歓喜の歌」が、わが生命の青空に轟き渡るのだ。


徳島の同志が、希望の大空へ飛翔する時は、いつも「歓喜の歌」がともにあった。
1985年(昭和60年)の4月――私が初めて春に、愛する徳島を訪問した折に、「徳島青年平和文化祭」の冒頭を、見事に飾ったのも、「歓喜の歌」であった。
さらに、菊の花の香る、94年(平成6年)の11月には、徳島の全437地区(当時)で、実に三万四千八百五人の尊きわが同志の英雄が、声も高らかに「歓喜の歌」を歌い上げたのである。
あの山間の村々で、海辺の町々で、わが同志は、厳冬を越えた春の万花のごとく、毅然と頭を上げた。
わが人生を堂々と勝ち得た友らも、そして可愛い未来の使者たちも、ともにドイツ語の詩に挑戦し、魂の自由を轟かせた。その声は、天空までも、凛々と響き渡っていった。
そして、私が訪れた翌12月の4日――そのフィナーレともいうべき、「『歓喜の歌』大勝利合唱祭」が、晴れ晴れと開催されたのであった。
三万五千の歌声は、まさしく一人ひとりの勝利の歌であった。正義に生きる凱歌であった。三世十方菩薩にも響いていくであろう、「創価勝鬨」の稲妻であった。


ベートーベンは、「より来る! 願わくは更にへと赴かんことを!」と祈った。
歓喜」もまた、の奥からあふれ出し、からへ、友から友へ、飛び火していく。
歓喜は、勇気の火花であり、雄々しき戦いの閃光である。
わが胸の信を語れ! 正義と真実を叫び抜け! 自由の炎で邪悪な壁を焼き尽くせ!
文豪ロマン・ロランは「フランス大革命は『歓喜』から発した」と洞察した。
我らの妙法の広宣流布は、生命の「歓喜の中の大歓喜」に発して、全人類待望の「人間革命の世紀」「人間勝利の世紀」の無上の扉を開いていく行動である。
自分が存在するその場所で、断固として、正義の旗、栄光の旗を打ち立てながら!
徳島、万歳!


【「随筆・新人間革命」1999-9-24 池田大作全集130巻 205頁】