魁の高知

勇者よ! 使命の航路を突き進め


私自身が向かっていく「冒険」は、私自身の魂の宿命なのである。
それは「個人の幸福」「社会の繁栄」「世界の平和」のためであり、いかに雷鳴が轟きわたろうとも、稲妻の閃光が走ろうとも、私の生き抜く活気は、さらに活発になる。
私には、太平洋の彼方に見ゆる日の出の力を、まっすぐに、そのまま自分の力として、戦い抜く、尊き胸中の王国がある。
私には、もはや寂しい孤独などはない。
過ちを犯す人生の航路などはない。
太陽が消え失せるような、侘しいもない。
悲しそうな、そして寂しそうな人生も、去っていった。
私の歩みゆく高知の大地は、光り輝く。強烈な宝石の天地の煌きがある。


我々の戦いには、敗北という言葉はない。
常に、胸は無限に広く、歩みは堂々として、何も恐れない。
私の人生は、終りまで勝利で飾る決をしているゆえに、いかなる波浪があっても、深い悲しみなどない。
私は、希望の冠をもっている。
決して報酬などは求めない。
私のには、無量無辺の、決して奪い去ることのできない、福徳のエメラルドが発光しているからだ。
多くの人が声に憧れ、声にしむ。
多くの人が自己保身のために、また非をかわすために、しい自身のを、さらにしめている。
他の存在を求めることなく、自分の考えは正統とい込んだ多くの社会の人々。
そこには、完全無欠なる栄光などは、決してない。
我らは、天の道に捧げゆく、天の使命と崇高なる役目を知っている。


いかなる暗い不幸の嵐が吹き荒れても、我らの深き信仰の呼吸には、悶など、全くあり得ない。
皆が、人生の目的を探し、また自分自身を探している。
しかし、その先は、渋と徒労の繰り返しに過ぎないことが、実に多い。
それでは、すでに瀕死の重傷と同じである。
私の胸には、大海原が広がり、彼方には船が見える。
星も見える。
雨の日もある。
悲しい日もある。
しかし、私には、一切を耐え抜いていける、悠々たる深き哲学がある。
ゆえに、私は負けない!
断じて負けない!
独りぼっちになっても、勇敢に私は進む。
私の特権は、栄光の勝利の人生である。
それが、英雄的な「幸福の帝王」たる人間であるからだ。


それは、1972年(昭和47年)6月のことであった。
私は“自由民権の郷”である四国の山河に走った。
香川の高松に入ったのが17日。翌日、代表六千人との記撮影会があった。
19日には、高知へ向かった。山越え、谷越え、四国の縦断の旅である。
私たちの車は、国道32号線を南下していった。
途中、この道から逸れ、徳島の西部の広布の宝城であった三好会館(当時)に立ち寄り、管理者のご婦人を激励した。
3年前、夫を亡くされたあと、2人の娘さんを育てながら、懸命に法城を守ってこられた、いじらしいお母さまであった。


明けて20日の火曜日。
後に「高知の日」となった、この歴史の一日を、私は今でもよく覚えている。
大雨の予を覆し、土佐の空には、南国の太陽がまばゆい光を放っていた。
それは、高知創価学会の未来永劫にわたる「歓喜」と「勝利」の行進を祝し、讃嘆しているかのようであった。


わが友に
  諸天も舞いゆけ
      土佐の旅


私は一句を詠み、会場である高知市の県民ホール(当時)へ向かったのである。
正午過ぎ。広大な県下の各地から集ってこられた、健気な六千人の同志との記撮影会が始まった。
撮影の第一陣は、最大の功労の方・花の婦人部である。このあと、各部が続き、結局、記撮影は16回にも及んだ。
汗ばむような、6月の午後。私も、上着を取り、ワイシャツ姿に腕まくりで臨んだ。
やがて、創価の“いごっそう”たる、土佐の青年、壮年たちとの撮影となった。
皆、凛々しかった。
皆、逞しかった。
皆、戦っていた。


「日本一、世界一の模範の団結の高知を築こう!」
私は、高知家族の燃える瞳に、新しき世界広布の魁の光を見たのであった。
日蓮大聖人は、「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提ひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて」(御書910頁)と仰せである。
1955年(昭和30年)の1月、わが師・戸田先生のお供をして高知に飛んだ、四国初訪問から45年。
高知からも愛媛からも清水を集め、大地を潤す、四万十川の滔々たる清流のごとく、若き正義の陣列は、「青年の世紀」へ、限りなく水かさを増し、勢いを強めている。
御書には、「水の如き行者と申すは水は昼夜不退に流るるなり少しもやむ事なし」(御書841頁)と仰せである。


今日も、私は堂々と流れ、そして歩く!
今日も、私はを清めながら、厳粛なる自身の仕事を立派にやり抜いて、前へ進む!
「自分自身」と「後悔のない正義」。その結合の一体の喜びを、私は仲間たちに教えたい。
いくら権力者たちが高慢そうに叫んでも、いくら私を封じ込めようと批判の鍵をおろしても、いかに廃墟のごとき空虚な非があっても、いかに暗く、不確実な誹りの声があっても、私は、一つも気にしない。
私は、私らしく、三世永遠のこの四国の天地に君臨して、滅びることはないからだ。
断じて最後には、勝ってみせる!その宣言文を毎日、天に捧げている。
私の魂には、いかなる生死も、いかなる恫喝も、いかなる極刑の宣告も、全く気にならない。魂の動揺は、信仰者の恥であるからだ。
臆病者は、正義の人を妬み、しめる。
彼は高慢極まる畜生の命であり、私は宝剣を手にした、栄光の優勝の人生なのである。
一瞬のしみ、一瞬の喜び。その一時が分かれ道になって、正義は栄え、悪党はしむ。
「因果の厳しき理法」は、永遠に消え去ることはない。
その方程式は、あまりにも厳しく、厳正である。
彼らはやがて、自らの尊厳を破壊し、恥辱の草むらに埋もれていくにちがいない。
我らの生命は、春風が吹き奏でる軽やかな調べに包まれ、幾世紀の後まで崩れることなき、自他ともに遊楽の人生そのままなのだ!
彼らは、嫉妬の奴隷である。
我らは、天上の王者である!
彼らは、絶望の人生であり、悩の輩である。
我らは、悠々たる勝利の不滅の魂に輝く長者である!


【魁の高知 2000-6-20 池田大作全集131巻182頁】