愛する四国に 学会精神は永遠なり


「30年前のきょう、四国の皆さまがいらしたんですね」
創価学会の80周年の幕が開けた1月14日の晴れた、妻がしみじみと語った。
 「ああ、そうだったね……」
 一生涯、忘れ得ぬ、あの宝の日は、歳月を超えて瞬時に蘇ってくる。
 1980年(昭和55年)の1月14日。その日も晴れわたっていた。前日の雪が一切を清め、大気はどこまでも澄んでいた。
 私と妻は待った。横浜港を一望する神奈川文化会館で、四国の友を待った。陽光に煌めく大海原を見つめながら、真正の同志の来るを待っていた。
 ついに、白亜の客船が現れた。香川県高知県愛媛県徳島県の宝友一千人をのせた「さんふらわあ7」号である。
 私はコートを纏いながら、周囲の皆に呼びかけた。
 「さあ、四国の同志を桟橋へ迎えに行こう! 皆で大歓迎しよう!」



 この年は、創価学会の創立50周年であった。本来ならば、全会をあげて慶祝する晴れやかな1年である。しかし、わが学会は太陽が沈んだように漆黒の闇に覆われていた。
 狂気じみた第一次宗門事件の嵐が、吹きすさんでいたからである。広宣流布に勇み励む創価の師弟を妬み、その絆を断ち切らんとする謀略の嵐は、日本列島の各地で荒れ狂った。その中にあって、けなげな四国の友は歯を食いしばり、いずこにもまして、勇敢に忍耐強く闘い抜いてくれていた。
 そして年頭より決然と、反転攻勢の航海へ、勇んで打って出てくれたのである。
 一人一人に、どれほどの強く深い決意が秘められていたことか。
 船酔いがきつい友もいたであろう。交通費の工面も、並大抵でなかったに違いない。
 家族や同志を送り出してくださった留守の方々の真心も尊く光っていた。
 異体同心の無量の題目に包まれての航路であったことも、忘れがたい。四国の全同志の信心を携えて「さんふらわあ7」号は海を越えてきたのだ。
 法華経の薬王品には、こう厳命されている。
 「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便りを得しむること無かれ」(法華経601頁)
 釈尊、そして、日蓮大聖人の仰せの通り、広宣流布への命脈を断じて流れ通わせていかねばならぬ。そのためには仏意仏勅創価学会を守り抜く以外にないではないか!
 創価の師弟のほかに、世界広布を遂行できる力が、一体どこにあるのか!
 この四国の賢者たちの正義の怒りに燃えた使命旅によって、闇夜に希望の日が昇った。
 私は何よりも嬉しかった。四国は、わが師・戸田城聖先生がこよなく愛し、いつも心にかけておられた天地である。1955年(昭和30年)の1月、先生と御一緒に高知県を訪問したことも、黄金の歴史だ。私にとって「四国」は「師国(師の国)」でもある。
 先生に、私は心で報告申し上げた。
 「学会精神は四国に厳然です。四国の勇舞の友さえいれば、創価は永遠に不滅です」



 御聖訓には、「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず」(御書1448頁)と記されている。
 生老病死の苦悩の渦巻く現代社会の大海を、いかなる波濤も恐れず、悠然と勝ち越えていく究極の力が「信心」である。
 四国と神奈川の交流幹部会の席上、私は強く語った。
 「われわれは福運の船出だ! 平和の船出だよ!」
 窓の外には、港に王者の風格でたたずむ「さんふらわあ7」号が見えた。
 思えば、日本の文明開化の夜明けを創った。この由緒ある横浜港は、四方に開かれた四国の先人たちとも縁が深い。
 高知生まれのジョン万次郎は、横浜港を経由して、再びアメリカへ渡り、日米の友好に尽力した。
 愛媛出身の言論人・末広鉄腸は横浜港から渡米する船上、フィリピンの独立の英雄ホセ・リサール博士と熱き友情を結んだ。
 私たちの「さんふらわあ7」号は、師弟共戦の「歓喜の船出」であった。
 1月の第一陣に続き、5月の17日には徳島の友一千人が、さらに20日には愛媛の友一千人が、「さんふらわあ7」号で、二陣、三陣と勇躍、駆けつけてくださった。
 それは、学会が最も大変な時に、「師弟の絆は、何ものにも絶対に壊されない!」と満天下に宣言する信念の闘争であった。
 その意義は、時とともにいやまして光彩を放っている。
 この三千人の勇者を、私は「三千太平洋グループ」と命名させていただいた。一人も残らず、私の生命の最も奥深くから永遠に離れることはない。そこに連なっておられる一家眷属が生々世々、最極の常楽我浄幸福航路を勝ち進まれゆくことを、私と妻は祈りに祈り抜いている。



 「栄誉ある、立派な生涯」とは、いかなる人生であるか。
  香川県が生んだ大教育者で、「人間革命」の理念を提唱された南原繁博士の答えは明快であった。
 「人間として誠実で、勤勉、そうしていつでも正義に味方する人になるということです。誠実ということ、これは人間の至宝であります」と。
 わが敬愛する四国の麗しき山河には、「誠実」で「勤勉」で、そして毅然と「正義」を貫く、創価の至宝の父母たちが奮闘されている。あの街でも、この村でも、その信頼と友好の目覚ましい広がりは、一千万の同志の模範と仰がれるところだ。
 四国は「詩国(詩の国)」である。
 「香川」も「高知」も「愛媛」も「徳島」も、おとぎの国のように、なんと美しく詩情豊かな名前であるか。
 御書には「名は必ず体にいたる徳あり」(御書1274頁)と説かれている。
 まさしく、愛する詩国に
「香しい人材の川」が滔々と流れ、「高き知恵の大光」が赫々と輝きわたる。そして「慈愛の幸福女王」が舞い、「福徳爛漫の宝土」が栄えゆかれることを、私はいつも心に念じている。



 讃岐漆芸の「中興の祖」と謳われる磯井如真先生は言われた。
 「だれかが新しく始めたことも、創造の歴史を重ねれば伝統になる」
 至言である。万般にわたり、創造的な継承によって、偉大な伝統が織り成される。
 2001年(平成13年)の11月18日、すなわち21世紀最初の学会創立記念日には、勇気と希望の大波が寄せ来るように、四国の青年部一千八百人の代表が、私のいる八王子の東京牧口記念会館へ意気高く集ってくれた
 会場には、「三千太平洋グループ」の友もいた。そのお子さん方も大勢いた。
 私は後継の友に、広布史に燦然と輝く「さんふらわあ7」号について語った。四国が全世界に示し切った「師弟共戦の志」を、若き生命に刻みつけてほしかったからである。
 そして万感を込めて呼びかけた。
 「四国を頼む!」
 「師弟共戦の志」が燃え立つ限り、「志国(志の国)」は盤石である。偉大な父母が築き上げた広布の城は盤石である。それは、全世界の創価の友に限りない勇気と希望を贈る光の大城なのだ。
 何より嬉しいことに、今、わが四国青年部と私の前進また前進の歴史は、いよいよ誇り高く、新たな栄光の絵巻を織り成している。



 「志の国」の愛する英雄の君よ!
 「正義の四国」の太陽の貴女よ!
学会創立百周年へ、さあ出発だ!
共に、共々に「正義の帆」を高く高く揚げるのだ!
創価万代の大船は、威風も堂々、波を蹴って進む。永遠不滅の大勝利へ!
愛する四国から「紅の歌」を轟かせながら!


2010年5月3日 「師弟勝利の大航海」30周年を記念して――
池田先生四国 巻頭言】