1月14日 四国・神奈川交流幹部会

波濤を越えた「さんふらわあ7」

1980年(昭和55年)114日。この日、神奈川県横浜市の神奈川文化会館で「四国・神奈川交流幹部会」が開催。四国広布の歴史に厳然と輝く、“師弟共戦”の原点の日である。
前年の79年(同54年)424日、宗門と結託し、学会を乗っ取ろうとした反逆・退転者の謀略で池田会長(当時)が勇退。池田誉会長と会員を引き離そうとする画策で、全国の同志は師の姿を知ることができなくなった。「先生を待つのではなく、私たちが行こう!」――そう立ち上がったのが四国の友だった。
80年113日、四国各地の代表が香川の高港に集結。その数798人。求道のが光る凛々しい青年部の姿もあった。
足摺岬のある高知・土佐清水市から駆け付けたHNさん=創価県、圏婦人部長。勇退の前年、高知を訪れた池田会長のもと女子部のリーダーに任命されていた。愛媛の山市から、はせ参じたIKさん=牧口西予県、県長。当時、男子部の部長。「ただ、池田先生にお会いしたいという一でした」
白亜の客船「さんふらわあ7」号で一路、師の待つ神奈川へ向かって大海原に出港。波濤を乗り越え、翌14日、横浜港大桟橋に到着。神奈川の同志の厚い歓迎と祝福のなか、交流幹部会が行われたのだった。
後年、誉会長は語った。「一番大変なときに、まっ先に私のもとに来てくださったのが、一番遠い四国の方だった」と。いかなる逆風でも師を求め抜く――その共戦の誓いこそ、「正義の四国」の神髄だ。

【2008-1-4付 聖教新聞 四国方面版】


本年は四国広布55周年。
そして、わが四国研修道場初訪問より30周年の節目だ。


師と四国研修道場・略年表


研修道場内にあった「池田講堂」で第二回婦人部総会が開催され、貧女の一灯の話を通し「貧女の一灯を福運の一灯に」と指導されました。
ここから、四国婦人部の小グループは「福運グループ」と命されたのです。


婦人部総会まっさかり?ですよね。
四国婦人部がんばれ!