師と四国

「歓喜の歌」響く徳島

喜べ喜べ! 人生を勇気で勝て! 「国々の国歌はあるが、人類の国歌はない」 “アメリカの良心”と敬愛され、私の親しい友人でもあったノーマン・カズンズ氏は、かつて、こう指摘された。 「戦乱と分断の二十世紀」から「平和と共生の二十一世紀へ」――。今ほど…

荘厳な高知の夜明け

先頭を走れ 人間主義の世紀へ! 私の愛する詩人の一人に、ホイットマンがいる。 彼は、「先駆者(パイオニア)」という言葉が、大変好きなようで、「先駆者よ!おお、先駆者よ!」と呼びかけ、その精神を強く謳っている。 「(=先駆者とは)安逸で飽満した…

正義と団結の城・愛媛

「広宣流布の王国」の新たな夜明け 夜空を見上げれば、立派な星がたくさんある。 同じく、学会には、星の光がきらめき踊るように、若き人材がたくさんいる。 その日、1985年(昭和60年)の2月4日。 私は、7年ぶりに、愛媛の人材の城をめざして走った。愛媛の…

感激の記念撮影から35年

今再びの師弟の前進! 1972年(昭和47年)6月――香川(18日)・高知(20日)で相次いで行われた池田名誉会長との感激の記念撮影会から今年で35周年の佳節を迎える。 両県で1万2千人の友が刻んだ出会い――その挟間に、もう一つの忘れ得ぬ師弟の劇(ドラマ)があ…

正義の光 7月3日  師弟の栄冠 我らの実証

四国女子部長 「創価の世紀」の太陽に 完勝の5月3日「創価学会の日」を記念し、「『正義』に立つ志国の勇者」と題したプレートが四国池田文化会館に設置されました。 ――池田先生が会長を辞任されて半年が過ぎた昭和55年1月14日、四国の同志1000人が汽船「さ…

清潔な信心貫け

妙法蓮華経の大宇宙のリズムというものは、すべて厳しい因果の理法以外の何ものでもありません。 したがって「陰徳あれば陽報あり」との御金言を忘れず、たとえひのき舞台で派手な喝采を浴びるような活動をしなくとも、御本尊に連なる広宣流布の大目的のため…

楽土建設の革命児たれ

私は、全国の指導に回ったさい、それぞれの地に、モットーを打ち出してまいりました。 すなわち関西の同志に対しては“常に勝利の関西たれ” 北海道には“新しき時代の開拓者たれ” 東北には“人材の牙城・東北たれ” 中部には“広布の堅塁・中部たれ” 九州には“常…

四国の友に和歌

池田名誉会長は、心から敬愛し、深く信頼する四国の友の幸福と勝利を祈りつつ、「5・3」を記念して次の和歌を詠み贈った。 大空を飛びゆく心で! 大空を 飛びゆく心で わが四国 功徳のために 君よ勝ち抜け 勝ちまくれ 四国は生涯 三世まで 功徳と長寿の 誉れ…

第一回四国総会3

学会は、民衆の大海原に飛び込んで、一対一の指導、一対一の折伏、一対一の対話を粘り強く続けてきた。それは、あたかも、ハマグリの貝殻で一杯、また一杯と、大海の水を汲み出すような労作業であった。 四国の皆さま方に「大岩を 砕き砕きて 四国路の 福智…

第一回四国総会2

大施太子、慈愛と信念で大願を成就 思えば、日蓮大聖人も、太平洋を眼前に望む地で、幼少時代を送られている。 経典には、海を舞台にした、次のようなドラマが展開されている。 これは、釈尊が過去世において「精進波羅密」という菩薩の修行をしていた時の物…

第一回四国総会1

戸田先生は、四国には高知しか訪れておられない(=昭和31年1月)。牧口先生の来訪はなかった。私は戸田先生の訪問の折、お供をして、この地に法戦の第一歩を刻んでいる。高知は、ことのほか忘れがたい、大好きな天地である。 戸田先生は、竜馬について、よ…

第一回四国青年部新世紀総会6

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 苦労に徹し「偉大なる闘争」から「偉大なる人間」が! 青年は、苦労を恐れてはなりません。苦労を避ける人は、「青年」とはいえない。 今、皆さんは、成長する時です。鍛えれば鍛えるほど、伸びていく時です。ゆえに、…

第一回四国青年部新世紀総会5

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 『周恩来と池田大作』の出版に友好往来の歴史 27年前(1974年)の12月の5日――寒い寒い夜でありました。 当時、周総理は76歳。私は46歳。総理は、鋭くも、またやさしい、あの眼差しで、私の目をじっと、ご覧になりなが…

「総務」奔走2

一人立つ時、一切の道が開かれる 香川初訪問 「宿は決まっているの?」(昭和34年) 池田総務にとって、四国は新しい地であった。昭和30年、恩師とともに一度、高知を訪問しただけであった。 当時の四国は高松支部、高知支部の2支部体制。1月度の折伏成果を…

第一回四国青年部新世紀総会4

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 孫文「日本よ、覇道でなく、王道歩め」 かつて孫文先生は、最後の日本滞在の折、神戸で「大アジア主義」と題した歴史的な講演を残されました。(1924年〈大正13年〉11月) その講演は、「日本よ!覇道でなくして、断じ…

第一回四国青年部新世紀総会3

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 四国の丈夫に絶大の信頼 ところで、孫文先生が、その最晩年、北京の病院から電報を送り、病床に招いて遺言を託した一人の日本人がおりました。 孫文先生が、そのように絶大な信頼を寄せていたのは、だれであったか。 …

第一回四国青年部新世紀総会2

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 広州は「改革・開放の電源地」 さらに、若き日の周恩来総理が、勇猛なる革命闘争の陣頭指揮を執ったのも、広州であったのであります。 近年、広州が「改革・開放の電源地」となって、世界が仰ぎ見る中国の大発展を堂々…

第四回四国青年部新世紀総会

池田先生からのメッセージ 新しい創価学会の「紅の朝」を告げ、そして新しい広宣流布の「暁鐘」を打ち鳴らしゆく、歴史的な四国青年部の総会、誠に誠におめでとう! はるばると、香川県からも、高知県からも、愛媛県からも、そして徳島県からも本当に御苦労…

第一回四国青年部総会1

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 「拡大の四国」から21世紀の暁鐘が はるばると海を越えて、中国から、そしてまた日本の四国から、本日は、ようこそ、お越しくださいました。 私は万感こめて、「大中国、万歳!」「大四国、万歳!」と申し上げたいので…

「第四回四国総会」5

日蓮大聖人は仰せである。 「法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即(すなわち)仏なり」(御書1580頁)――法華経というのは、手に取れば、その手がすぐに仏となり、口に唱えれば、その口はそのまま仏である――。 妙法のため、…

「第四回四国総会」4

皆さまは、すばらしい「自分自身の歴史」を、「黄金の歴史」を刻んでいっていただきたい。 これが本日の、私の心からのお願いである。そのためには、「自分自身に生きる」ことである。その人が幸福である。 「あの人が、こうしたから」「あの幹部が、こうだ…

第四回「四国青年部新世紀総会」

遥々(はるばる)と 四国の友が 牧口城 偉大な使命の 前途に幸あれ 大法戦 勝ちに勝ちたる 四国かな 三世にわたりて 功徳は光りぬ ああ四国 思い出多き 四国かな あの顔 あの人 いかに忘れじ 四国青年部新世紀総会は東京牧口記念会館で。 池田名誉会長は「偉…

「第四回四国総会」3

故郷を越え、民族を超え、宗教を超えて――私は、世界の方々と幅ひろく対話を続けている。仏法といい、広宣流布といっても、「人間」と「人間」の出会いから始まる。 「人間」を抜きにして、宗教もなければ、平和もない。「人間」同士が語りあい、理解しあうこ…

あの日あの時4「池田先生と四国」

師のもとへ船は急いだ さんふらわあ7号「太陽が燃えよる……ええ感じの船や」 ボストンバッグを手に、徳島県のK・Yは巨大な船腹を見上げ、おもわずうなった。 水平線を突き破った日輪、オレンジ色の炎が、純白の船体にデザインされている。 大型バスや乗用車か…

「第四回四国総会」2

昭和30年(1955年)高知を訪れた戸田先生は、この地が生んだ自由民権運動の闘士・板垣退助と中江兆民にふれて指導された。先生は、この地に民衆の力による時代変革の息吹を感じておられた。明治維新の総仕上げをした気迫をたたえておられた。 今また、友情の…

敬愛する四国の皆さまに捧ぐ

光の国に常楽我浄の勝利を! 2000年8月12日 おお! 海と空がある 四国の天地は 心 若返らせてくれる 奥深い新しい力を 持っている。 遠くを眺めると 神々しいほどの煌きが 我らの心には見える。 この地で 我々は そして私たちは 燃える思いで 偉大な信仰に …

「第四回四国総会」1

事実の上で、歴史を前進させるのはだれか――。それは民衆である。名もなき庶民である。有名人でもなければ、権力欲の政治家でもない。地位もなく、巨富もなく、名声もなくとも、日々を真剣に生きる民衆の力である。 民衆ほど偉大なものはない。民衆ほど強く、…

「功徳あふれる徳島に」

徳島講堂の完成を心からお祝い申し上げる。いま、私も○○○○○○○○○より御下付たまわった御本尊に、皆さま方のご多幸、ご長寿、無量の功徳、さらに広布が無限に開けていくよう深くご祈念させていただいた。皆さま方のお力でできあがった講堂であり、“広布の我が…

不滅の大城 永遠勝利の四国

2001年4月4日我らの四国よ! 誇りも高き 師弟不二たる 五月の三日よ! おお四国! おお志国! 我々にとって 誉れ高き 不可分の栄光は 永遠に 堅固な大城が 四国にあることだ。 いや 四国自体が 不滅の大城なのである。 いくら愚劣な 無意味な批判の 砲弾が飛…

青き天地 四国賛歌

1987年11月6日私は 待った 金波の横浜港を眼前に望む 神奈川文化会館の一室の窓辺より 双眼鏡を手に 待ちに 待った はるか彼方より 「さんふらわあ7」号の船上には 愛する四国の求道の友 一千人 はるばると また はるばると その“真実一路”の来港を 地元・神…