四国への随筆・指導

第一回四国総会3

学会は、民衆の大海原に飛び込んで、一対一の指導、一対一の折伏、一対一の対話を粘り強く続けてきた。それは、あたかも、ハマグリの貝殻で一杯、また一杯と、大海の水を汲み出すような労作業であった。 四国の皆さま方に「大岩を 砕き砕きて 四国路の 福智…

第一回四国総会2

大施太子、慈愛と信念で大願を成就 思えば、日蓮大聖人も、太平洋を眼前に望む地で、幼少時代を送られている。 経典には、海を舞台にした、次のようなドラマが展開されている。 これは、釈尊が過去世において「精進波羅密」という菩薩の修行をしていた時の物…

第一回四国総会1

戸田先生は、四国には高知しか訪れておられない(=昭和31年1月)。牧口先生の来訪はなかった。私は戸田先生の訪問の折、お供をして、この地に法戦の第一歩を刻んでいる。高知は、ことのほか忘れがたい、大好きな天地である。 戸田先生は、竜馬について、よ…

第一回四国青年部新世紀総会6

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 苦労に徹し「偉大なる闘争」から「偉大なる人間」が! 青年は、苦労を恐れてはなりません。苦労を避ける人は、「青年」とはいえない。 今、皆さんは、成長する時です。鍛えれば鍛えるほど、伸びていく時です。ゆえに、…

第一回四国青年部新世紀総会5

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 『周恩来と池田大作』の出版に友好往来の歴史 27年前(1974年)の12月の5日――寒い寒い夜でありました。 当時、周総理は76歳。私は46歳。総理は、鋭くも、またやさしい、あの眼差しで、私の目をじっと、ご覧になりなが…

第一回四国青年部新世紀総会2

中国・広州大学「名誉教授」称号授与式 広州は「改革・開放の電源地」 さらに、若き日の周恩来総理が、勇猛なる革命闘争の陣頭指揮を執ったのも、広州であったのであります。 近年、広州が「改革・開放の電源地」となって、世界が仰ぎ見る中国の大発展を堂々…