「第四回四国総会」4


皆さまは、すばらしい「自分自身の歴史」を、「黄金の歴史」を刻んでいっていただきたい。
これが本日の、私の心からのお願いである。そのためには、「自分自身に生きる」ことである。その人が幸福である。
「あの人が、こうしたから」「あの幹部が、こうだから」――そう言って、人に左右されるのは、「他人に生きている」人生である。
また「こんな社会だから」「こんな国だから」――そう言って周囲に左右されるのは、社会や国に引きずられて生きている人生である。
私どもは、自分自身に生きたい。だれが何をしようと、環境がどうであろうと、ただ自分自身の命に生き、自分自身の使命に生き、信に生きたい。
そのなかに、他人のため、社会のため、世界のため――じつは全部入っている。そして自身に生きた人生は、絶対に悔いがない。
私も自分自身に生きている。ただ、戸田先生と私自身の不二の命に生きている。


【第4回四国総会 1993-12-3 四国文化会館 「池田大作全集」第84巻25頁】


「自分自身に生きる」これは、わがまま放題でいいということではない。
生きていく上で、自分自身の信を持ち、使命をはたしていくことだ。
私たちの立場で言えば、強き信仰心を持ち、今自分のいる場所で自身の使命を果たしていくと言うことではないだろうか。
人間はともすれば、他人や環境に責任を押し付ける。人を見て「我賢し」との慢心を持ちやすい生き物だ。
「あいつよりは俺のほうが」「あんなにドンくさくはないわ」等思ってしまうことがありがちではないだろうか。
そんなしょうも無い考えから、「いじめ」とかがおこってくるのだろう……悲しい性だ。


しかし、私自身も昔はそうであった。他人のよさを認めてあげることのできない狭量な人間であったのだ。今の自分があるのは創価学会のおかげだ。
創価学会は「人間大学」といわれる。人間は人の中でもまれ、訓練されることによって崇高な使命に生きることができるようになるのではないだろうか。


武道などでも、正しく強い師匠を持つと上達が早いように、私は人生の師匠を持つことができた。
その上で創価の先輩に育てていただいた――師匠と創価学会には感謝してもしきれない。
師弟不二”だ!
もっともっと、師を学び、謙虚さを忘れず、報恩の思いで戦っていきたい。