正義と団結の城・愛媛

広宣流布の王国」の新たな夜明け


夜空を見上げれば、立派な星がたくさんある。
同じく、学会には、星の光がきらめき踊るように、若き人材がたくさんいる。


その日、1985年(昭和60年)の2月4日。
私は、7年ぶりに、愛媛の人材の城をめざして走った。愛媛の友が、散々、悪の人間たちから悪口され、いじめられていたことも、胸に響いて痛かったのである。


私は、松山にある愛媛文化会館(現・松山文化会館)を出発した。
松山から伊予郡を通り、山間の曲がりくねった道を駆けて、2時間近く――。ようやく、めざす南予の大洲に到着した。
大切な、わが家族である同志たちは、嬉々として待っていてくださった。
わずか60畳ほどの小さな大洲会館は、地元・大洲をはじめ、八幡浜、東宇和、宇和島など、南予の友の笑顔でいっぱいだった。
空は晴れていた。
2月初旬にしては、暖かい、春の陽気であった。
とくに、この大洲の地域は、四国で最も早く、宗門の邪悪な坊主によって、純純朴なる学会員が理不尽な嫉妬の迫害にさらされていたのである。
愛媛の方々は、あまりにも人が好い。
欺瞞の聖職者は、あろうことか、その善良なを踏み躙り、しめ抜いたのだ。


私との勤行が始まると、あちこちから、嗚咽が漏れた。
正義は必ず勝つ、必ず証明されると信じて、耐えに耐えた、悪と戦った日々であった。
今、その時が来た。
法は勝負です。皆様は勝ちました!」
私の宣言に応え、天高く轟き渡った歓声と笑顔は、今も、わが生命に焼きついている。


会合を終え、私は、まっすぐに、この地の功労者である、坂本キヌエさんのお宅に向かった。
実は、家具店を営む坂本宅のすぐ隣が、長年にわたる学会攻撃の張本人の寺であった。
どれほど悔しいいをされ、憤怒の血涙を流してこられたことか。
三障四魔という法に説く嵐の中で、坂本さんの一家は、正義の柱として同志を守り、厳然と戦い続けたのだ。
師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書1190頁)
私は、“師子”のごとく、疾風のごとく馳せ参じ、健気なる母、“転輪会”の一員として戦い抜いてきた子をはじめ、三代にわたるご家族の方々と語りに語り、沸き立つ熱湯のごときの交流をした。


「そうそう……」
私の妻が、こんなことを漏らした。
「東京を出る時、二人して、五百軒目の家庭訪問は、どこのお宅になるのでしょうかね、と話していたんですよ」


――私が会長を辞めた年(1979年=昭和54年)の夏。
当時、悪辣な反逆者、悪侶たちの策略によって、私は自由に会合に出たり、大勢の同志に会うこともできなかった。
それなら私は、草創期から、広宣流布の戦闘に生き抜いてこられた、真の学会員の英雄を、一軒、また一軒と尋ねよう!
一人でもよい、行く先々で、その地の広布の礎となった方を励ますのだ。そして、その一人から、もう一度、不撓不屈の学会精神の炎を燃やすのだ……。
こう決して、私は新たな行動を開始した。
8月下旬に、第一号として、長野の功労者宅にお邪してから5年半。ほぼ4日に一軒のペースで、訪問させていただいたことになるだろうか。
奇しくも、大洲の坂本宅が、五百軒目の訪問という、私にとって忘れ得ぬ歴史となったのである。


い出深き、大洲からの帰りの車中、私は詠んだ。


 艱
   空は晴れたり
     大洲城
  広布に集える
    友の凛々しさ


私は、この愛媛指導の折に、「始中終すてずして大を・とをす人・如来の使いなり」(御書1182頁)の御文を引いて、激励した。(松山での愛媛県支部長会)
「始めも途中も最後も、妙法を捨てないで、大を受けても信仰を貫き通す人が如来の使いである」との仰せである。


生涯、広宣流布の大願に生き抜き、学会と共に歩み続ける人が「の使い」である。「人間の王者」である。
「信の王国・愛媛」を築くのは、その広宣の王者である。
私は、この“師子王”の大城こそが、皆様方の幸福と勝利の城であると語った。


2000年の5月3日は、わが愛媛に松山支部が誕生して満40年。そして、私が会長になってからも40年――。
この間、1963年(昭和38年)の晩秋に、松山会館の落成に駆けつけた初訪問をはじめ、私は、皆様と黄金の共戦譜を綴ってきた。
80年(昭和55年)には、皆様は、2度(1月と5月)にわたり、船で荒波を越え、毅然とした目標と決をもって、神奈川文化会館で指揮をとっていた私のもとに来てくださった。
その皆様方の勇敢なる学会精神の姿を、私は、断じて忘れることはできない。


四国広布の大法戦場・愛媛!
愛媛の前進が四国の前進!
愛媛の勝利が四国の勝利!
あの美しき山河と海に包まれた天地を、今日も威風堂々と、団結固く行進する愛媛の友よ!
今こそ、私と共に新しき世紀を開こう。希望満々たる「広宣流布の王国」の新しき夜明けに、私は万歳を叫ぶ!
どうか、一人も残らず、勝利者という栄冠で一生を飾っていただきたい。幸福という宝財に包まれた、不滅の長者として生涯を送っていただきたい。


【随筆「新・人間革命」1999-7-10 池田大作全集130巻112頁】