500軒目の家庭訪問 愛媛

君を守るために来たんだ!


「どうしても大洲まで行かなくてはならないのですか?」
周囲の配を振り払うように、池田誉会長はバスに乗り込んだ。南へ南へ、山から、曲がりくねった山あいの道を2時間近く。
激務が続いていた誉会長の体には大きな負担だった。
しかし、何があっても行かねばならない。「決着をつける」ために!
第一次宗門問題の余燼が、まだくすぶっていた。
前日の昭和60年(1985年)23日、山入りした誉会長は、大洲広布の功労者であるSYさん(現・愛媛牧口西予県副県長)に、断固としていった。
「あしたは大洲に行くよ。必ず行くよ。敵打ちに来たんだ。君を守るために来たんだ!」


大洲は、四国で最初に宗門事件が勃発した地である。
こともあろうに、学会が寄進した神力寺という寺を拠点に、悪鬼入其身の坊主が、反逆者と結託して、純真な会員をいじめいじめ抜いた。
卑劣な切り崩しによって、退転していく者も相次いだ。
悔しかった。歯ぎしりするいだった。冬の暗夜のような毎日だった。
しかし、同志は“正義は必ず勝つ”と信じて、耐えに耐え抜いた。真の対話で地域広布に走り、春を、夜明けを待ち続けた。
24日。誉会長が大洲会館に到着した日は、暖かな陽光が降り注いでいた。
この日は立春
「小さな会館だね。これでは、大洲じゃなくて小洲だね」
誉会長の第一に、朗らかな笑顔が広がる。
そこには、大洲をはじめ、東宇和、八幡浜宇和島の友が待っていた。
「私が来たから、もう大丈夫だよ! 配ないよ!」
厳粛に勤行。誉会長の朗々たるが響く。だが、友は、こみ上げるいでにならない。深いご祈。静まった場内で、涙が畳に落ちる音が聞こえた。
誉会長は、一人一人を胸中に納めるように見渡し、語りかけた。
「『ただこそ大切なれ』と日蓮大聖人は仰せです。『』とは『信』です。
いかなる逆境の中にあっても、学会と共に、御本尊を信じ、行じ抜く『』が幸・不幸を決めるのです」
そして力強く師子吼した。
法は勝負です。との戦いです。
皆様は勝ちました! まぎれもなく勝利したのです!」
烈々たる勝利宣言。友のに太陽が昇った。勝利の春風が吹き抜けた。
“私たちは勝ったんだ!”

会合終了後、誉会長は、Sさんの家へ向かった。家具店を営むS邸のすぐ隣には、悪僧が住みついている神力寺がある。一家は、同志を護る正義の最前線の砦であり、防波堤であったのだ。
「勝ったんだよ!」
誉会長は、出迎えたSさんに強く語った。
昭和54年(1979年)、会長を辞任した直後に始めた、誉会長の功労者宅訪問は、500軒目となった。

あの「誓いの2」から23年。
寺は跡形もない。悪僧と脱会者の末路は哀れだった。
大洲会館は、堂々と立派になった。未来部、青年部は、愛媛広布の中核を担うリーダーに成長した。
「ただこそ大事なれ」――そのとは、広宣流布に戦う信。そして、師と共に戦う。愛媛の同志には、その「」がダイヤモンドのように輝いている。



大洲広布の功労者で、家具店を営むSYさん宅へ。店内に飾られた、ひな人形に目を細めた香峰子夫人は「東京を出る時、二人して、500軒目の家庭訪問は、どこのお宅になるでしょうかね、と話していたんですよ。Sさんのお宅になりましたね」と(昭和60年24日)

【2008-2-11付 聖教新聞 共戦の旅路】