500軒目の家庭訪問 愛媛
君を守るために来たんだ!
「どうしても大洲まで行かなくてはならないのですか?」
周囲の心配を振り払うように、池田名誉会長はバスに乗り込んだ。南へ南へ、松山から、曲がりくねった山あいの道を2時間近く。
激務が続いていた名誉会長の体には大きな負担だった。
しかし、何があっても行かねばならない。「決着をつける」ために!
第一次宗門問題の余燼が、まだくすぶっていた。
前日の昭和60年(1985年)2月3日、松山入りした名誉会長は、大洲広布の功労者であるSYさん(現・愛媛牧口西予県副県長)に、断固としていった。
「あしたは大洲に行くよ。必ず行くよ。敵打ちに来たんだ。君を守るために来たんだ!」
大洲は、四国で最初に宗門事件が勃発した地である。
こともあろうに、学会が寄進した神力寺という寺を拠点に、悪鬼入其身の坊主が、反逆者と結託して、純真な会員をいじめにいじめ抜いた。
卑劣な切り崩しによって、退転していく者も相次いだ。
悔しかった。歯ぎしりする思いだった。冬の暗夜のような毎日だった。
しかし、同志は“正義は必ず勝つ”と信じて、耐えに耐え抜いた。真心の対話で地域広布に走り、春を、夜明けを待ち続けた。
2月4日。名誉会長が大洲会館に到着した日は、暖かな陽光が降り注いでいた。
この日は立春。
「小さな会館だね。これでは、大洲じゃなくて小洲だね」
名誉会長の第一声に、朗らかな笑顔が広がる。
そこには、大洲をはじめ、東宇和、八幡浜、宇和島の友が待っていた。
「私が来たから、もう大丈夫だよ! 心配ないよ!」
厳粛に勤行。名誉会長の朗々たる声が響く。だが、友は、こみ上げる思いで声にならない。深いご祈念。静まった場内で、涙が畳に落ちる音が聞こえた。
名誉会長は、一人一人を胸中に納めるように見渡し、語りかけた。
「『ただ心こそ大切なれ』と日蓮大聖人は仰せです。『心』とは『信心の心』です。
いかなる逆境の中にあっても、学会と共に、御本尊を信じ、行じ抜く『心』が幸・不幸を決めるのです」
そして力強く師子吼した。
「仏法は勝負です。仏と魔との戦いです。
皆様は勝ちました! まぎれもなく勝利したのです!」
烈々たる勝利宣言。友の心に太陽が昇った。勝利の春風が吹き抜けた。
“私たちは勝ったんだ!”
会合終了後、名誉会長は、Sさんの家へ向かった。家具店を営むS邸のすぐ隣には、悪僧が住みついている神力寺がある。一家は、同志を護る正義の最前線の砦であり、防波堤であったのだ。
「勝ったんだよ!」
名誉会長は、出迎えたSさんに強く語った。
昭和54年(1979年)、会長を辞任した直後に始めた、名誉会長の功労者宅訪問は、500軒目となった。
あの「誓いの2月」から23年。
寺は跡形もない。悪僧と脱会者の末路は哀れだった。
大洲会館は、堂々と立派になった。未来部、青年部は、愛媛広布の中核を担うリーダーに成長した。
「ただ心こそ大事なれ」――その心とは、広宣流布に戦う信心。そして、師と共に戦う心。愛媛の同志には、その「心」がダイヤモンドのように輝いている。
大洲広布の功労者で、家具店を営むSYさん宅へ。店内に飾られた、ひな人形に目を細めた香峰子夫人は「東京を出る時、二人して、500軒目の家庭訪問は、どこのお宅になるでしょうかね、と話していたんですよ。Sさんのお宅になりましたね」と(昭和60年2月4日)
【2008-2-11付 聖教新聞 共戦の旅路】