感激の記念撮影から35年

今再びの師弟の前進!

1972年(昭和47年)6月――香川(18日)・高知(20日)で相次いで行われた池田名誉会長との感激の記念撮影会から今年で35周年の佳節を迎える。
両県で1万2千人の友が刻んだ出会い――その挟間に、もう一つの忘れ得ぬ師弟の劇(ドラマ)があった。

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19日、車中の人となった名誉会長は、高知へ向かう途中、綾歌町(当時)のT.Sさん=綾歌支部、副支部長=宅を訪問した。
香川県西部の静かな農村地域。近隣の友と記念撮影を行い、地域の繁栄と発展を心から念願した。
その場に居合わせなかった友も、「わが地域に池田先生が」と感動。決意に奮い立った。
T.Mさん=岡田支部支部副婦人部長=も、その一人。
綾歌支部の3代目支部長だった夫・Kさんとともに、「師匠が訪れた“綾歌広布”を!」対話に励んだ。
今から9年前に霊山へ旅立ったKさんの遺志を継ぎ、Mさんは現在、200人以上の共感の輪を広げるなど対話の最前線に立っている。
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さらに名誉会長は讃岐山脈を越えて吉野川が横切る徳島・三加茂町(当時)の三好会館(当時)へ。
「普段は気丈な母が、その時のことは声を震わせて話していました」と語るI.Fさん=井川支部、婦人部副本部長。
母・T.Hさん(故人)は同会館の管理者。この3年前に夫が他界していた。
名誉会長は約1時間、Tさんと懇談を。残された二人の娘さんを案じて温かく励ました。
約2時間に及ぶ滞在の後、同志の見送りに感謝しながら名誉会長は、次の和歌を詠み送った。


幾重にも
  功徳の山と
   連なりて
  三好の友の
    幸ぞ祈らむ


山間地域でもあり、学会への無理解も大きかった。
苦しい時、つらい時、友は名誉会長の和歌を胸に進んできた。
師の真心に感謝しながら、友好を広げ続けるIさん。昨年は娘の仏法対話を応援し弘教を実らせるなど、親子3代にわたり師弟共戦の歴史を刻んでいる。

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池田名誉会長は「『師弟の道』を貫いていくことが、一番懸命な、一番正しい道であり、永遠の勝利の道である」と。
35年前、山村へと足を運んだ師。
ただ一度の出会いから続く師弟の道。
その道を、ひたむきに真っしぐらに走り続けてきた四国の友。
その胸には師への誓いが今も赤々と燃え続けている。“師弟共戦の歴史を、再び、わが地域から!”と。

*個人名はイニシャルにしています。

【2007-6-8 聖教新聞 四国方面版】


私の母も、近所の子供を抱き(兄弟ではない(笑))、記念撮影をしていた。
すぐ横に先生が来られ、近所の子供Oくんの頭を撫でてくれたそうだ。
四国研修道場で撮影したと言っていたので、この時ではないかもしれないが、我が家の家宝になっている。
私は、学会活動を始めるまで知らなかった。(笑)


わが地域にも、師との多くの歴史、思い出がある。激励の真心がそこここに刻まれている
師と直接向き合うことはなくとも、感謝の思いを胸に刻み“師弟”の道を疾走していきたい。
自身の臆病の岬をこえろ!
悔いなき歴史を刻め!
目指せ!全国完勝!


追記・外は、ドンガラガッシャーン・ゴロゴロゴロ・ザーザーと雷殿が張り切っている。
ピカー・ドーーーン!!!!!す、すごい!!!!
念のためにコンセントをぬいておこう。(笑)