「総務」奔走2

一人立つ時、一切の道が開かれる

香川初訪問 「宿は決まっているの?」(昭和34年)

池田総務にとって、四国は新しい地であった。昭和30年、師とともに一度、高知を訪問しただけであった。
当時の四国は高松支部、高知支部の2支部体制。1月度の折伏成果を見ると、全国で27位、34位と伸び悩んでいた。
2月3日――。池田総務は、伊丹空港から香川に向った。
快晴の高松空港に降り立った。香川初訪問であった。
出迎えに出た聖教新聞記者のK・Hさんに、総務は言った。
「泊まる宿は決まっているの?」――。
Kさんが述懐している。「私はその日、東京から夜行列車で駆けつけてきたばかりで、宿をとる余裕すらありませんでした。そんな記者のことまで、先生は配してくださったのです。
先生はおっしゃいました。『一緒に泊まりなさい』。私は先生と同じ旅館に泊めていただきました。先生のご配慮に、ただただ恐縮してしまいました」
総務は、空港からタクシーで高松支部支部長宅に向った。
支部長宅には数十人の友が待っていた。総務はその同志らと勤行。さらに、初めて会うメンバーに、池田総務は語りかけた。「何か質問はありませんか」と。夜の会合まで約2時間、総務は質問に答え続けた。
◆証言(M・Aさん)
私もい切って質問しました。
当時、18歳で入会してまだ2年目でした。父は他宗の僧侶をしていたため、家族こぞって大反対で、一家和楽など夢のような状況であったことを話しました。
先生は私の話にじっと耳を傾けてくださり、こうおっしゃいました。
「一人立つ時、一切の道が開かれていきます。それを宿命転換と言うのです。頑張りなさい!」。その確信のすごさに全身が震えたことを今でもはっきりと覚えています。
先生がおっしゃった通り、兄妹も両親も折伏することができ、一家和楽の信を勝ち取ることができました。

愉快な質問会

2月3日夕刻、指導会の会場である香川県公会堂に参加者が続々と集まり始めた。当時は電車賃も高かったため、多くの友が自転車で集まってきた。
この日参加した人の多くが、入会1、2年の新会員であった。御書を持っている人は少なく、入り口ではガリ版刷りの御書が配られた。
夜6時半、指導会が開催された。指導会では質問会も行われた。

◆証言(Y・Sさん)
「東京からすごい方がみえるのよ」との組長さんの勢いに引っ張られ、入会間もない私も参加しました。
「質問を考えていったほうがいい」と言われ、自転車で1時間半かけて会場へ向う途中、私は考えました。入会してから毎日のように先輩と折伏に歩きましたが、まだ「南無妙法蓮華経」の味すら分かりませんでした。
会場には大勢の人がいました。司会から「池田総務に質問のある方は」と言われ、い切って手を挙げました。
司会から「男子部ですか?」と聞かれましたが、入会45日目だった私には、その味すらわかりません。「男です」と答えました。場内大爆笑でした。私は顔を赤らめながら、「南無妙法蓮華経は、どういう味ですか」と伺いました。
唐突な私の質問にも先生は誠実に答えてくださいました。そして、「南無妙法蓮華経とは、様の前だと覚えておいて下さい」とおっしゃいました。その一言が私のに刺さりました。私にとって、一番分かりやすい表現だったのです。から納得しました。


新しい時代が来た!大手を振って進もう!

焦点は青年である

指導会の終了後、総務は青年部との懇談会をもった。
「焦点は青年である」「ともに広宣流布へ戦うなかで、青年を育てるのだ!」――これが師の指導であった。
約250人が参加していた。
青年部の指導会が始まろうとした時、酒に酔った男が乱入しようとしていた。これを見逃さなかったのが男子部の役員であった。彼らは勇気をもって対応に当たり、追い返したのである。
そのことを知った総務は言った。
と戦うのが学会精神です。戸田先生は厳命されました。『破折精神を忘れたものが幹部になれば会員がかわいそうだ』と」
当時の役員が述懐している。「先生は、背広の内ポケットからシャープペンシルを取り出し、役員の代表にくださいました。シャープペンを見たのは、それが初めてでした。この時、と戦う精神を先生から教えていただいたのです」
懇談会で、総務はまず男子部に対して語った。
「まず第1に、一生涯御本尊と離れないでいただきたい。
第2に、修行期の青年時代は、信の上でも、社会にあっても大いに勉強していただきたい。青年に勉強していく精神がなくなったら学会青年部ではありません。
最後に切望したいのは、戸田先生の愛弟子として戦っていただきたいということです。
歴史は大きく転換されていきます。
モスクワ芸術座が演じたチェーホフの『三姉妹』を見ました。3人が叫びます。“新しい人の時代がきた。新しい時代のために犠牲となろう”と。
また、ゴーリキーの『どん底』には“人間は尊厳なもの、大きいんだ。新しい時代がきたら大手を振って、生き生きと進もう”と綴られており、その時、男爵のほうは、ふらふらになってしまう場面が描かれています。
ましてや私たちは青年部です。男子部が前進する時、日本も大きく変わるのです」


師の教えを訴え切れる人に

総務は、今度は女子部に向って指導した。
「まず夜は早く休み、朝は早く起き、いつも生き生きと、若々しく、会社にあっても女子部らしく活躍していただきたい。
次に、嫉妬から人を批判してはいけない。信を根本に、尊敬し合い、激励し合い、目的に向って団結して、学会第一の女子部をつくってください。
第3に、戸田先生の教えを胸に刻み、大聖人の教えを言い切っていく先駆者になってください」

◆証言(Y・Tさん)
会合終了後、部隊長だった私は両親と一緒に、池田先生の宿舎にごあいさつに伺いました。遅い時間にもかかわらず、先生は、私たち親子を快く迎えてくださいました。
「娘さんを、部隊長としてお預かりします。本当にお世話になります」。先生が、そう丁寧に言われたのには驚きました。そして、両親にミカンをくださいました。
どこまでも女子部を大事にしてくださる先生に、私は全国の先駆をきる戦いをすると誓いました。

【大白蓮華2007年2月号 「総務」奔走2より】


まだまだ、知らない地元広布のドラマがある。学ぶべし、求めるべし。