随筆「人間世紀の光」106


昭和35年7月、私は、男子部の精鋭グループ「水滸会」とともに、太平洋を望む千葉県・銚子の犬吠埼を訪れていた。いまだに忘れ得ぬ、懐かしい天地である。
あの水平線の彼方に、赫々として昇りゆく太陽を思い描く時、私の胸は常に躍る。
その日、恩師・戸田先生は、私たちの前に姿を見せることはなかった。
先生は、生涯の願を成就され、二年前に、五十八歳で逝去されたのだ。
しかし、弟子である私の胸中には、生き生きと、恩師の指揮とる姿、弟子を励ます力強い声が、いつも、またいつも、「師弟不二」の実像として輝いていた。


【「勤行」は勝利の源泉 2006.2.10付 聖教新聞

池田先生の行動の根底にあるものは、「師弟不二」だ。
アンチの連中が理解できないのは、この一点だ。拝金主義の思想のなかで、低レベルな批判に終始している。
出所のわからない、話を真剣に鵜呑みにしている者もいる。
そうして、しょうもないことをネット上にまきちらしている。
そして、そういう自分の姿の恥ずかしさには気がつかない。


思想哲学のない所には、文化は生まれない=アンチは文化にはなりえない。


内部のアンチも、同じだ。「師弟不二」がわからずにいる。
不満を書きちらし、現実の戦いの中で変革していく戦いを放棄している。
先生は、自身の誠実な行動で、皆を引き付けてきたのだ。
道は遠くとも、自分の戦いで、証明していくべきだ。
「私がやります」というのが信仰者だ。


戸田先生は「世界から悲惨の二字を無くしたい」といわれた。
いま自分のいる場所から、この平和思想・哲学をひろげていくのが自身の戦い。
まあ、現実には家庭訪問と対話の積み重ねしかありませんけどね。