特別寄稿 次代を開くキーワード5
希望の春は母から生まれる
四国は「四季の国」。春夏秋冬に、美しき自然と心の絵巻が織りなされゆく宝土(ほうど)である。
秀麗な飯野山の裾野(すその)に広がる丸亀市の飯山町では、桃源郷のごとく桃の花が満開の時を迎える。
いにしえより、桃は豊かな生命力の象徴である。ひな祭りでも桃の花が飾られ、愛娘(まなむすめ)の健やかな成長を願う親心が託されてきた。家庭であれ、地域であれ、明るい女性の語らいは、希望の花である。
高松市の「いただきさん」は、サイドカー型の自転車や手押し車で、魚を商う女性たちである。
「いただきさん」が街角に立つと、人の輪ができる。料理や献立のアドバイスなど、会話を楽しみにする人も多いという。温かなふれあいと元気まで運んでくれる。瀬戸内の海の幸が、家庭の幸へ、地域の幸へと広がっていくのだ。「おさかな、ご用」の声は、街のすみずみまで活力を送る。
「たくましく真剣に働く母たちこそ、どんな貴婦人よりも気高い」と、私は青年に語ってきた。
「わが母の苦労の姿を、感謝を込めて、一家の誇りとして語り伝えていくんだよ」と。
女性教育の先進県 香川の慈愛の光
歴史を振り返れば、厳しい冬の時代を打ち破って、女性が活躍しゆく春の時代を開いてこられたのが、香川の母たちだ。
三豊市山本町出身の花岡タネ先生と、小豆島町生まれの村崎サイ先生は、女性の可能性を教育で開こうと生涯を捧(ささ)げた先駆者である。共に明治期、裁縫学校から信念の一歩を踏み出した。大情熱の対話で幾多の人々を味方にしつつ、教育の聖業を推進された。
今、花岡先生の学校は坂出第一高校に、村崎先生の学校は、さぬき市にもキャンパスを置く徳島文理大学・女子短大へ大発展している。
豊かな母性は、豊かな教育力の泉である。
日本女性として初めて博士号を取得した植物学者の保井コノ先生は、東かがわ市三本松に生まれた。男性優位の社会で、何倍もの努力を重ねて大学者となっても、名誉も求めず、地位も願わず、ただ自分の渾身(こんしん)の仕事が残りゆくことで満足とされた。
「問題はこれからの研究にあります」――。
毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)を見下ろし、未来を見つめて次の世代の道を開く女性たちの心は、あまりにも深い。
一人を大切にする 母の心に学べ
一人の人を大切にし、尊き生命を励まし護(まも)る。この女性の勇気と智慧(ちえ)から、平和の春風が薫(かお)る。
私と妻の知人で、高松市の南部の山間地域で20年以上、婦人消防団を務めてこられた方がいる。
数年前の台風の際は、山崩れで道路が寸断された。復旧までの約1カ月間、その婦人は、一人暮らしのお年寄りのために、倒木を越え、土砂を越えて、毎朝毎晩、食事を届け、励まし続けた。
観音寺市で、わが子を亡くした悲しみや甲状腺がんを乗り越え、「読み聞かせ」の運動を続けてきた女性は、「生命から迸(ほとばし)る喜びや感動を声に響かせて子どもたちに伝えていきたい」と微笑(ほほえ)む。
鎌倉時代の大先哲は、「国」という字を「くにがまえに民」(注フォントにない)すなわち「口」に「民」と書いた。国の宝とは、大誠実の民衆であり、優しく賢明な母たちである。
「何かを変えたいと思ったら、まず自分自身を変えることですね」と語っておられたのは、「アフリカの環境の母」マータイ博士であった。
希望がなければ、希望を創(つく)ればよい。闇が深いほど、自らが太陽となって朗らかに輝くのだ。
幸福の花には、忍耐という大地が必要である。「冬は必ず春となる」。
四季の国・四国のお母さま方の健康長寿を、私は妻と祈る日々である。
晴れやかに
春は来りて 桃の花
あなたの心が 光りて満開
【2009-3-18付 四国新聞】
わが地域のことを、池田先生は『「四国」は別名「志国」であり「詩国」なのです』と呼びかけられている。
その上、地元の人も知らないような、香川出身の先人の方々を宣揚して下さっている。
田舎といっていい、わが四国は日本の中でも、少子高齢化や不況の影響を最も早く受けているといえます。
この特別寄稿は「四国頑張れ!四国頑張れ!」とのエールが込められているように感じてならない。
私は師が「四国が勝てば全国も勝てるんだよ」と語りかけられていると思うのです。
私の使命も、四国の同志の使命も大きい。
反転攻勢の原点の地「四国」!
どんなことがあっても「日々前進」だ!
同志と共に!
友人と共に!
四国の天地で勝鬨の雄たけびをあげ、勝利の歴史を刻んでいきたい。