香川の共戦の絵巻

戦う一広宣流布の魂


近代ドイツの大哲学者ヘーゲルは、若き日、思想界の革命児の“決心”を歌った。
「敢然と 神々の子は完成の戦いを 心に期するがよい
いざ 汝との和平を断て 世のと妥協する勿れ!
努めよ 試みよ 今日よりも昨日よりも いや増しに! さすれば 汝
時代を越ゆるものたらざらんも いともよく時代たらん!」


1978年(昭和53年)の一月、私は、香川県四国研修道場を初訪問した。
その道場から湾を隔てて対岸に見える台地が、あの有名な「屋島」であると伺った。
かつて、この屋島を仰ぐ陸上競技場に、全四国の同志三万が意気高く集ったことも、よく覚えている。(1962年=昭和37年)
入り江の奥は、“源平の合戦”の古戦場で、那須与一が、船の上の“扇の的”を射落としたという『平家物語』の舞台であった。この地は、あまりにも多くの歴史を宿した天地である。わが道場の前の海岸も、平家の水軍が潜んだ場所として、「船隠し」と呼ばれていた。


ところで、栄耀栄華を誇った平家が、なぜ滅亡したのか。
種々に論じられようが、その根源を探れば、人間の「一」の問題に突き当たる。
当時、平家の武将たちは、贅沢に慣れ、戦いを忘れ、弱体化していたといわれる。
他方、源氏は、かつて一敗地にまみれた教訓を忘れず、仇討ちの執に燃えていた。
「地の果てまでも平家を追いつめ、攻め落とさないかぎり、都には帰らない」(『平家物語』趣意)―それが、平家追討の大将軍たる源義経の覚悟であり、源氏の武士たちの決心であった。


わが創価学会の空前の大前進も、「敵と戦う心」「法に殉ずる心」を燃やし続けたからこそ、成し遂げられてきたことを絶対に忘れてはならない。
“この数十年の輝ける栄光の軌跡は、数百年にも匹敵するであろう”と、多くの心ある識者が讃え、驚き、語っていることは、皆様もご存じの通りだ。
蓮祖は、源頼朝と、平宗盛が天下を争った“源平の合戦”など、法華経の行者の大法戦に比べれば、足元にも及ばないと仰せである。
(頼朝と宗盛が七年・秋津島にたたかひし<中略>此にはすぐべからずとしるべし」<御書218頁>)
 広宣流布は、の戦いであり、すべての人を永遠の幸福へ覚醒しゆく聖である。


この年、私は三度(1,7,12月)四国を訪れ、そのたびに香川に足を運んだ。
香川が、四国の“異体同心の要”であり、正義の進軍の“電源地”であるからだ。
7月には、小さな船に揺られて、小豆島にもお邪した。わずか三時間ほどの滞在であったが、黄金の思い出である。
その前日の四国の幹部会で、私は、こう訴えた。
「これからの四国は『人材になろう』『人材にさせよう』を合言葉に前進を!」
「法」を弘めるのは「人」である。
広宣流布の成否は、ただ「人材」で決まる。


当時、四国でも、聖職の仮面をかぶった性の悪坊主による、陰険な学会攻撃が始まっていた。
翌年(1979年=昭和54年)名誉会長になってから二年半の間、私は、学会破壊の邪悪な謀略によって自由に動くこともできなかった。
すべて、私の存在を恐れ、怖がり、焼きもちを焼いた、宗門の邪悪な坊主をはじめ、奸智と強欲の退転者らの一大結合による陰謀・謀略であった。
その鉄鎖を厳然と断ち切り、大反撃の戦闘を開始した原点が四国であったことは、明快にして不滅の史実の刻印である。
1981年(昭和56年)の11月―私は徳島から香川に入った。
懐かしき研修道場には、愛する同志が多数、生き生きと集まってこられた。
「宗門や反逆者への反撃は、私がいたします!
これ以上、皆様にご心配、ご労をかけたくない。
私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
私の呼びかけに、嵐のごとく轟いた共戦の大拍手は、香川の大空に響き渡っていった。
皆の心に、性との戦い、激しき攻防の戦い、すなわち広宣流布への炎が、赤々と燃え上がっていった。
この日を、誰人も忘れることはできない。


ともあれ、「共戦」の二字が金文字で刻まれた、四国・香川の広布の大絵巻は、今も燦然と輝いている。
あの黒く陰湿な“衣の権威”の陰謀をものともせず、白亜の客船「さんふらわあ7」号に、胸を張って乗船し、私のいた横浜まで駆けつけてくださったのも、皆様方であった。
「共戦」とは、師弟一体の広宣流布への真剣な祈りであり、行動である。最も大切な、戦いの呼吸も、「師弟不二」も、ここから深まる。
「共戦」とは、自分の一を広布の主戦場に定めることだ。そこに自己の殻を破り、大我の人生を開く道もある。
そして「共戦」とは、広布の全責任を勇んで担わんとする精神だ。誰かがやるだろう、自分は関係ないという官僚主義と、徹して戦うことだ。
「共戦」の心があれば、広宣の大河は無限に広がる。
その雄々しき中核の闘士は、青年である。
もう一度、ヘーゲルの言葉を借りれば、「総じて英雄時代の状態は(個人でいえば)とくに青年時代のそれに相当する」からだ。
いよいよ、新世紀の凱旋門も眼前に見えてきた。
私は、心から敬愛し信頼する皆様に申し上げたい。
「さあ、共に戦おう! 我らの勝利のために!」

【随筆『新・人間革命』 1999.10.21 池田大作全集130巻223P】