桂冠詩人


池田SGI会長の「桂冠詩人」称号の受賞25周年を記する「桂冠詩人展―池田大作・詩心の世界」が2006年(平成18年)6月2日〜6月11日まで開催されました。
四国青年部が企画・製作し、世界詩歌協会四国新聞社などが後援。大盛況のうちに閉幕しました。
くすのきも、16名の友人に見せる事ができました。
桂冠詩人の称号は、昭和56年(1981年)7月、世界芸術アカデミーから送られたものです。
学会歌「紅の歌」は、桂冠詩人の称号を送られてより初めての作詞なのです。


☆若干訂正です。「桂冠詩人」称号の授与の知らせが先生に届いたのは、1981年(昭和56年)の12月のことです。「青年よ21世紀の広布の山に登れ」が初の長編詩です。
称号書の日付が1981年(昭和56年)7月になっているのです。


桂冠詩人」の称号をいただくという報に接したのは、四国、そして九州へと続いた友の激励行の道すがらであった。同志への激励に全魂を注いでいた折のことである。長年、悪侶の策謀に踏みにじられ続けた友が立ち上がり、今ふたたびの前進を開始した、ちょうどその最中であった。
いただいた「桂冠詩人」の称号も、私の胸には「詩歌で人の心を癒せ」「詩によって友に『活きる力』を与えよとの天啓のごとく鳴り響いた。

【大道を歩む 「世界桂冠詩人」より】


桂冠詩人」で思い出すのは、池田SGI会長へ宗門より総講頭罷免の通知(第二次宗門問題)がきた翌年、平成3年(1991年)の秋に四国研修道場に「桂冠詩人展示館」かオープンし、初めて「紅の歌」の校正原稿を見たことです。
展示館を鑑賞し、先輩から「自分も言葉で戦おう、言葉で真実を叫びきっていこう」と言われ、これが遠因となって、このプログに繋がっているのです。


四国研修道場では、「人間賛歌の世紀」めざして『池田SGI会長の平和行動展』に始まり、さまざまな四国発の展示会が行われてきました。
今わかる範囲で、以下に書き込んでおきます。


昭和56年(1981年)10月〜11月・昭和57年(1982年)5月〜10月
「池田SGI会長の平和行動展」


昭和57年(1982年)11月〜12月
「民衆が語る戦争展―戦争を知らない世代へ」
○戸田第二代会長の「原水爆禁止宣言」の精神を継承したもの。


昭和58年(1983年)1月〜4月
ソ連の人形と玩具展」
○これは昭和56年5月、池田SGI会長が第三次訪ソの際、文化交流の一環として開催した「日本人形展」の返礼となったものです。


昭和58年9月〜昭和59年(1984年)3月
「世界の子供と教育展」
○世界58カ国約600冊の教科書、おもちゃなどを展示。


昭和59年4月〜7月
「自然と人間との調和―環境展」
○環境破壊の現状、四国の環境など、自然と人間との調和はどうあるべきかを考え、具体化した。


他にも、「シルクロード展」「宇宙展」などが開催されました。
会場は、四国研修道場内「池田記講堂」(いまはありません)でした。


歴史ある反転攻勢のこの地に生まれあわせた、使命を痛感します。
「厳しき師弟の誓いのなかでしか、本当の正義を貫く事はできない。」
言うは易く、行うは難し。
自らを鍛え上げるのみ。