聖教新聞・公明新聞、記者に私が期待しているもの


 “無冠の王者”――伸一は、かつて、この言葉を、聖教新聞の関係者に贈った。
 そこには、権威も名声も求めることなく、いかなる権力も恐れず、民衆のために果敢に戦う勇者たれとの、彼の熱い期待が込められていた。
 新聞が権力におもねり、その下僕となれば、社会正義の追及という、大事な使命を放棄してしまうことになる。さらに、真実を知る民衆の権利は奪われ、新聞は人びとの目を欺く煙幕と化してしまう。

【新・人間革命14巻 358頁】


政治に関して、聖教新聞記事には、公明新聞にしたがっての記事しか掲載されない。
公明党」は、権力側に身を置いている――政治政党です。


この姿勢は、権力におもねっている事になるのではないか?
たとえば、民主党の自爆ではあるが、現在、基地問題で政治が揺れている。


公明党は、何年もかけて自公政権時代に決まった。
基地移設を「民主党がダメにしてしまった」かのような幼稚な主張で乗り越えようとしています。
このことにかんしても、公明党自民党におもねってきたのが現実だ。


支援組織の機関紙である聖教新聞は、日米安保基地問題沖縄の人々の立場に立って論じていく必要があるのではないでしょうか。
本当は、公明新聞に率直な記事を書く記者とその記事を掲載することのできる責任者がいればいいのですが……。


「政治を監視せよ」とは、創価学会の基本理念です。
現場のメンバーが政治を「座談会」等で議論することのできるきっかけとなる、記事を書き、その掲載を許すことのできる聖教新聞社であっていただきたい。


で、本当に言いたいことは以下の事だ。
少しづつでいい、そうなっていけば現場のメンバーが、自腹を切るような新聞啓蒙は減っていく、公明新聞に追従することなく、仏法思想(平和思想)を基調とした論調の発信をしていけば、自然に心ある庶民に受け入れられていく。
月に2〜3部しか啓蒙できない私だが、現場で戦っているメンバーを見ていると声を上げずにはいられない。