人間革命12巻 後継の章より 第7回
引き続き、学んでいきます。
後継の章より
「私は医術を排撃はしない。あたかも智慧をうるのには知識の門をくぐるがごとく、健康の道に医術を忘れることは愚かだ。しかし、私は、現代の医学をもって最高とはしていない。ゆえに、ちょうど道路の技師が測量技術をもって道路を測定するように、医学、医術を、健康の道を測定する技術として待遇しているのである。ゆえに、わが身に課せられた病魔、死魔は、妙法によってこれを打ち、その経過は医術によって知らされるようにしてきたのであった。おかげをもって、満57歳の年を終わって、2月11日の58歳の誕生日を選んで、全快祝いをあげることになった。
昔、旅人が一里塚、一里塚と追うて旅をしたごとく、私も7年、7年と、七里塚を越えては、広宣流布の道へ進もうと思う。いままで通り、同志諸君の協力を望んで病気の経過をあらまし報告する」
手記ではそのあと、病気をする前まで好んで口にしていたウイスキーも飲みたくなくなり、タバコの量もめっきり減り、しかも、おいしく吸うことができるようになったことを述べ、さらに、次のように記している。
「また、私にとって、ありがたいことは、糖尿病は、過去15年前の牢獄生活に発したことがはっきりわかったことである。糖尿病のために、私は左の眼の網膜を痛めていたのであるが、これまで、眼科医ではその原因を知ることができなかった。不治なりとされて、私自身もそんなものかと思っていた。
だが、時折、見えたり見えなかったりする現象に、おかしいなという感じをいだいてきた。ところが、こんどの病気で、徹底的に膵臓の治療も受けたところ、左の視力が復活してきて、7分通り見えるようになってきた。いわば、死んだ網膜が生き返りつつある。網膜を1枚、大御本尊様より下賜されたというところである。ただただ、御本尊に対する感謝の心でいっぱいである」
この手記の冒頭で、戸田は7年ごとの難について触れ、難には前兆があることを述べているが、今回の病魔の前兆としては、昨年夏の夕張の炭労の問題、そして、大阪での小西理事長や山本伸一たちの逮捕事件をあげることができよう。
競い起こったこれらの事件は、戸田の心身をいたく苦しめた。また、大阪地検の狙いが、戸田の逮捕、投獄にあったことを考えると、障魔の嵐は戸田という広宣流布の指導者を狙って、激しく吹き荒れていたといってよい。
しかし、彼は、それらを、ものの見事に跳ねのけ、いま高らかに凱歌の曲を奏でたのである。厳しい冬は終わり、まばゆい陽光の春が、いよいよ訪れようとしていた。
読む限りでは、戸田先生は最晩年、好きな「お酒」もほとんど飲んでいなかったようですね。
アルコール依存症であったのかどうかは分かりませんが。
まあ、私たちには大した問題ではありません。
壮年部の方で「戸田先生は酒が好きやったから、私も飲むんや」と酒を飲む理由にしているメンバーがたまにいますね(笑)
私もたまに嫁に言ってるなぁ(苦笑)
お心当たりの方、お互いに飲みすぎには注意しましょうね。
嫁いわく「池田先生は『お体を大切に』といつも言ってるよ」と……。
「はい、はい」と答えつつ、もう一杯。もう2杯。そして3杯(笑)
飲む姿は「雪山の寒苦鳥」のごとし「あー、今日も飲みすぎたー」(爆)
そんなこんなで、つづきます。