難に勝って仏に


戸田先生は言われた。
日蓮大聖人の後精神の根本は広宣流布である。その御精神を受け継ぎ、仰せのままに広宣流布をしてきた教団は、学会以外にない。
その証拠には、誰が大を受けたか。戦時中のことを考えてみよ。学会は大弾圧を受け、牧口先生は獄死されているではないか。
皆、口ではうまいことを言う。また、立派そうなことも言う。しかし、不惜身命の精神で妙法広布に殉じようとはしない。を受けなかったということは、本気になって広宣流布をしなかったからである。いや、できなかったのだ」
偉大だからこそ迫害される。作家・魯迅は、「中国でも漢晋以来、いやしくも文のある者は、大抵みな、人の誹謗を受けている」と言った。
また戸田先生は、こうも叫ばれた。
「大聖人の大に立ち向かわれる師子王の如き精神、その志を継承する者こそ、創価学会である」
「野良犬が吠えるような、いかなる罵倒や非があっても、決して動ずるな!そんな、つまらぬことに、決して紛動されるな!英雄の道を歩むのだ。偉人の道を歩むのだ。私たちの信奉する大聖人のから見れば、すべて九牛の一毛に過ぎないのだ。
「大聖人をいじめ抜いた、極悪の敵である平左衛門尉に対して、御書には“彼は、自分にとって善知識だ”と仰せになっておられる。
敵など、断じて恐れるな!全部、自分自身を完成させ、にしてくれる、闇の烈風に過ぎない」
この師子吼をわが門下に贈りたい。

【「3.16」50周年記協議会 2008-3-11付 聖教新聞


当時、学会の弾圧に対し宗門の坊主どもは何もしなかったばかりか、神札を受けるという大謗法をおかした。
その上、学会幹部に対しては「登山停止」という処分を下したのだ。このことは、消し去ることのできない歴史的事実だ。
OJという坊主は「神本迹論」という謗法を掲げ水魚会というグループをつくって、軍部迎合に奔走した。
あの狸祭で、学会青年部が糾弾した坊主だ。
この「狸祭事件」といわれる出来事があった時も、戸田先生は「登山停止」となった。
詳しくは「人間革命」で学んでいただきたい。

一、 宗会の決議では我等の会長が登山止めだそうな、物騒な世の中になったものだ。
一、忠義を尽して謗法を責めて御褒美あるかと思うたに、おほめはなくて「登山まかりならん」とおしかりさ。弟子共一同「俺達も一緒に登らんわい、フン」だってさ。
一、何が「フン」だい。決ってるじゃないか、日本全国の信者の声だってさ、嘘もよい加減にしろ、折伏も出来ず、御衣の権威で偉ばること許(ばか)りを知っとる坊主の学会に対するやきもちだからさ。
一、寸鉄居士会長に御伺いをたてたら「あんまり騒ぐなよ、こんな目出度いことを」とニヤリさ。
一、こらこら騒ぐな「ニヤリ」を説明してやるからな、如説修行抄に仰せあり「真実の法華経の如説修行の行者の弟子檀那とならんには三類の強敵決定せり。されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし」。三類の悪人の仕業の中に「遠離塔寺(おんりとうじ)」と言って寺から追い出すやり方がある、悪人共がさ。
 さて、我等が会長に折伏の大将として一大名誉を贈ったのさ、「遠離塔寺」と云う仏様からの勲章なんだ。
一、寸鉄居士ニヤリとして曰く、宗会議員の諸公は三類の敵人中、第二類か第三類か、ニヤリ。

寸鉄 1952-07-10 聖教新聞


池田先生も、「大阪事件」のあの時、無実の罪をきせられ、獄中闘争を戦いきった。戸田先生を守るために一身に罪を被って……。
そして、正義を掲げ法廷闘争で「無実」という勝利をつかみ取ったのである。
現在の私たちは、このようなにあうことはない。
せいぜい、近所や職場で人に悪口をいわれたり、Web上で癖をつけられる程度のことだ。
すべて、師をはじめ草創の同志が戦い、勝ち取られてきた結果であるとう。


組織上のしょうもないことに振り回されているうちは、「まだまだ」だ!
謝と報いを胸に、断じて勝つと決していきたい。
どんなことがあっても、喜んで戦うことのできる自身を築き上げていくのだ。
今いる場所で「一人立つ」ことが求められている。
私は断じて負けない!
たとえ、倒れるようなことがあっても、最後の最後まで前に向いて前進していく自分でありたい。
「これからも、私は、命ある限り、広宣流布に尽くしていく」との師の言葉に結果をもってこたえていく決だ!