豊中平和会館


関西でお誘いをうけた、豊中平和会館での写真をアップします。



「師と常勝関西の同志」との「師弟不二」の歴史が深く刻まれている、歴史深き場所だ。


新時代・第41回本部幹部会のおり、師の認められた2つの書が紹介された。
「大山」
脇書き 「わが友よ 嵐に不動乃 信心たれと祈りつつ」「五四年五月三日 創大にて 式後 記す也」
「大桜」
脇書き 「わが友乃 功徳満開たれと 祈りつつ」「五四年五月三日 創大にて 合掌」


式後とは、あの「第3代会長辞任」が発表された「本部総会」のことである。
この日の夜、神奈川文化会館で認めたのが、
「共戦」
脇書き 「五十四年 五月三日夜」 「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを信じつつ  合掌」


2日後の5月5日には、
「正義」
脇書き 「五十四年 五月五日 神奈川文化にて」「我一人正義の 旗持つ也」

そして、一年後の1980年(昭和55年)には、
「五月三日」
脇書き 「昭和五十五年五月三日 記す」「心爽やかなり 合掌」
「昭和二十六年五月三日」(戸田先生の第2代会長就任の日)
「昭和二十七年五月三日」(池田先生夫妻の結婚式)
「昭和三十五年五月三日」(第3代会長就任の日)
「昭和五十四年五月三日」(実質的な第3代会長辞任式となった日)
「昭和五十八年五月三日」(執筆時から3年後)
「西暦二〇〇一年5月三日」 (21世紀)
「此の日は わが学会乃 原点也」



この「五月三日」の書を記されたのが、この「関西牧口記念館(現 豊中平和会館)」なのだ。
この地には、学会の原点、師弟の原点がとどめられている。


Web同志であるS氏に誘っていただいたおかげで、強行軍で疲れ果てていた体に「元気」がわき出てきた(笑)
もともと武家屋敷で、1966年(昭和41年)1月30日に池田先生が自ら下見をし購入されたそうです。




当時の復元模型。よくできています。




歴訪は40回をかぞえる。
四国指導に向かわれる前や、帰路にも立ち寄られたことがある。
我が家の後継者たちは、疲れ果てていて、途中で車の中に引っ込んでしまいました。
が、後で「池田先生が40回も来られたところなんぞ」と話すと。
「もっとまじめに見ておけば良かった」と(笑)


歴史ある場所に縁させていただけたことに感謝。


師に続いていこう、心残りの無いよう、自分のできる戦いは全てやりきる!