正義の四国 誉れの広布史
6月20日6000人と記念撮影会 “魁の高知”が共線の前進
ちょうど36年前の1972年(昭和47年)の今日6月20日。池田会長(当時)が5年半ぶりに高知を訪れた。18日に行われた香川での記念撮影に続いて、高知の同志と一緒に記念撮影を行った。
天気予報では、20日の高知はあいにくの雨。しかし、「絶対に晴れさせよう」と皆で必死に祈った。
その願いが通じたのか、雨はやみ、時折太陽の日差しが差し込むように。喜びに心躍らせ、県内各地から代表が集まった。
約6000人の撮影は正午すぎから、16グループに分かれて行われた。昼食時ということもあり、待機会場では軽食が振る舞われた。
会長は参加者を温かく包み込み、全魂の激励と指導を重ねた。しかし、1つのグループが終わり、次までの準備の間、控室で横になる。
「おそらく体調が優れず、熱もあったのだと思います」と当時運営役員だったSTさん=高知創価県、総県副婦人部長。
しかし、準備ができると、再び力強く撮影会場へ。感動の友とカメラに収まり、そして一人一人の会員に全力で激励を続けた。
広宣流布のため、師匠との誓いのために、我が身をなげうち、同志の心を鼓舞する会長。その岩をも砕く気迫と一念に、高知の同志は広宣の誓いを新たにし、さらなる前進をするのだった。
のちに、この日が「高知の日」に制定。今も多くの同志の心に、厳然と師弟の原点を刻む日となっている。
恩を知り、恩に報いることが人として最も大切な道――。
何より大恩ある師匠への報恩こそが四国の同志が歩む道である。