正義の四国 誉れの広布史2月


四国広布の源流は「2闘争」

216日 高知に初の学会員が誕生

「伝統の2」が開幕。
四国の同志は折伏・弘教に勇んで挑戦し、大きく対話を広げている。
2闘争――それは1952年(昭和27年)2、池田誉会長が蒲田支部の幹事として、1ヵで201世帯の折伏を成し遂げた戦いだ。支部の弘教は年間で4018世帯に達し、戸田第2代会長の願であった75万世帯達成へ大きなうねりを起こした。
誉会長は当時、入会5年目の24歳。今のヤング男子部の世代だった。
この師の大闘争の中に、四国広布誕生の歴史が燦然と輝いていた。
翌53年(同28年)131日、プロ野球選手だった上林繁次郎さんが、キャンプのために高知へ。蒲田支部班長であり、誉会長のもとで薫陶を受けた折伏の闘志を燃え上がらせていた。
上林さんは、高知市内にあった寺へ夕の勤行に通い、法華講員と対話。共を深めた12人が入会したのだった。それが216日。日蓮大聖人御生誕の義深い日に、誉会長のもとから四国の歴史は始まったといえよう。
後に、誉会長は綴っている。
「この『伝統の2』の折伏が波動となり、翌年、四国初の学会員が、高知に誕生した。
所属は、私が指揮をとる蒲田支部の矢口地区であった。これが四国広布の源流となった」
その2度の幹部会では3555世帯の弘教の成果が発表。四国の同志も矢口地区の一員として折伏を成し遂げ、地区で第1位となる196世帯の折伏を達成したのだった。
本年は四国広布55周年の佳節。頼もしい青年部を先頭に、師と呼吸を合わせた大前進で、壮大な「広布第2幕」の新たな四国の歴史を築こう!

【2008-2-1付 聖教新聞 四国方面版】


四国の源流は、師の戦いである「2闘争」!
24歳で指揮をとられた池田先生

私は42歳。
まだまだ、甘い自分を叱咤!
草創の同志に続け!
四国広布の歴史」の一文を刻む自分でありたい。