平家の滅亡に学ぶ
平家も、初めはおごる権力ではなかった。
“田舎侍”とか“地下人”とか、さまざまなはずかしめをうけ、大変な苦労をしながら、営々として地盤を築いてきた。
上野殿御返事の中にも、このありさまは詳しく述べられております。
「 日本国の武士の中に源平二家と申して王の門守の犬二疋候、二家ともに王を守りたてまつる事やまかつが八月十五夜のみねより・いづるを・あいするがごとし、でんじやうの・なんによの・あそぶをみては月と星との・ひかりをあわせたるを・木の上にて・さるのあいするがごとし、かかる身にてはあれども・いかんがして我等でんじやうの・まじわりをなさんと・ねがいし程に・平氏の中に貞盛と申せし者・将門を打ちてありしかども昇でんをゆるされず、其の子正盛又かなわず・其の子忠盛が時・始めて昇でんをゆるさる、其の後清盛・重盛等でんじやうにあそぶのみならず、月をうみ日をいだくみとなりにき、仏になるみち・これにをとるべからず、いをの竜門をのぼり・地下の者の・でんじやうへ・まいるがごとし」(御書1560頁)
これを要約すると、源平二家とも初めは、犬みたいに、天皇や貴族に使われ、その人達の生活を山賊すなわちきこりが、8月15夜の月を見るごとく、あるいは、猿や月や星を木の上で見て愛するごとく、遠くかなたのことのように思っていた。
やがて平貞盛が将門を討って名声を得たが昇殿は許されなかった。その子の正盛の時も昇殿は許されず、ようやく正盛の子・忠盛の時にいたって初めて昇殿が許された。
それから約50年間、清盛の時代に入って、全盛を極め、月すなわち皇妃を生み、日すなわち天皇を抱く身分となった。
だが、それから数年の間に、源氏のために滅ぼされてしまった。建設の期間は長く、それこそ百数十年、否それ以上ともいわれております。
しかし、平家が功成り名を遂げて、建設期の精神を忘れたときに、すでに滅亡の因をつくってしまった。
最後はわずか数年で悲運の道をたどり、西海の果てに没し去ったのであります。
平家が全盛を極め“平家にあらずんば人にあらず”とまで豪語した時代に、誰が数年後のこの滅亡を予測しえたでありましょうか。
私はこの中に様々な教訓含まれていると思う。
まず第一に、いかなる時代、個人、そして団体においても、草創期の建設精神を忘れたときに、すでに堕落が始まり、滅亡の因があるということであります。わが創価学会は、永久に本因妙の精神、建設の息吹で進んでいかなければならない。そしてこの建設精神を、いつまでも伝えきっていかなければならない。私どもには、それを実証で示し、実践で伝えていく使命があると訴えておきたいのであります。
第二に、いかに既成の権力の壁が厚かろうが、おごる権力はその一角が崩れ去れば、急速に衰え、滅亡していくという原理が示されているということであります。
今、私たちの眼前には、おごり高ぶった既成の権力の石垣が、今なお威猛高にそびえている。しかし、その土台はすでに腐り、大地である民衆から遊離している。したがって、その一角が崩れれば全体がもろくも崩壊することは、必然でありましょう。
「草創期の建設精神を忘れるな」
恵まれた組織で戦っている私たちは心していかなくてはならない。
組織活動をソツなくこなしているだけでは喜びは生まれない。
組織の中では家庭訪問を中心とする、最前線での戦い。
動くとさまざまな問題に直面することもあるし、やりきれない思いを持て余すこともある。
しかし、引いてはダメ、絶対に逃げないことだ。語りに語り、動きに動く。
日々挑戦だ。
組織の外では地域友好活動、友人への対話、仕事の実証……等々。
日々実践を積んでいくことだ。
喜びは「勇気ある挑戦」から生まれる、誠実な対話・行動で組織の内外に友好を広げていきたい。
革命児たれ!