平家の滅亡に学ぶ


平家も、初めはおごる権力ではなかった。
“田舎侍”とか“地下人”とか、さまざまなはずかしめをうけ、大変な労をしながら、営々として地盤を築いてきた。
上野殿御返事の中にも、このありさまは詳しく述べられております。


「 日本国の武士の中に源平二家と申して王の門守の犬二疋候、二家ともに王を守りたてまつる事やまかつが八十五夜のみねより・いづるを・あいするがごとし、でんじやうの・なんによの・あそぶをみてはと星との・ひかりをあわせたるを・木の上にて・さるのあいするがごとし、かかる身にてはあれども・いかんがして我等でんじやうの・まじわりをなさんと・ねがいし程に・平氏の中に貞盛と申せし者・将門を打ちてありしかども昇でんをゆるされず、其の子正盛又かなわず・其の子忠盛が時・始めて昇でんをゆるさる、其の後清盛・重盛等でんじやうにあそぶのみならず、をうみ日をいだくみとなりにき、になるみち・これにをとるべからず、いをの竜門をのぼり・地下の者の・でんじやうへ・まいるがごとし」(御書1560頁)


これを要約すると、源平二家とも初めは、犬みたいに、天皇や貴族に使われ、その人達の生活を山賊すなわちきこりが、815夜のを見るごとく、あるいは、猿やや星を木の上で見て愛するごとく、遠くかなたのことのようにっていた。
やがて平貞盛が将門を討ってを得たが昇殿は許されなかった。その子の正盛の時も昇殿は許されず、ようやく正盛の子・忠盛の時にいたって初めて昇殿が許された。
それから約50年間、清盛の時代に入って、全盛を極め、すなわち皇妃を生み、日すなわち天皇を抱く身分となった。
 だが、それから数年の間に、源氏のために滅ぼされてしまった。建設の期間は長く、それこそ百数十年、否それ以上ともいわれております。
 しかし、平家が功成りを遂げて、建設期の精神を忘れたときに、すでに滅亡の因をつくってしまった。
最後はわずか数年で悲運の道をたどり、西海の果てに没し去ったのであります。
平家が全盛を極め“平家にあらずんば人にあらず”とまで豪語した時代に、誰が数年後のこの滅亡を予測しえたでありましょうか。
 私はこの中に様々な教訓含まれているとう。
まず第一に、いかなる時代、個人、そして団体においても、草創期の建設精神を忘れたときに、すでに堕落が始まり、滅亡の因があるということであります。わが創価学会は、永久に本因妙の精神、建設の吹で進んでいかなければならない。そしてこの建設精神を、いつまでも伝えきっていかなければならない。私どもには、それを実証で示し、実践で伝えていく使命があると訴えておきたいのであります。
第二に、いかに既成の権力の壁が厚かろうが、おごる権力はその一角が崩れ去れば、急速に衰え、滅亡していくという原理が示されているということであります。
 今、私たちの眼前には、おごり高ぶった既成の権力の石垣が、今なお威猛高にそびえている。しかし、その土台はすでに腐り、大地である民衆から遊離している。したがって、その一角が崩れれば全体がもろくも崩壊することは、必然でありましょう。

【東北本部幹部会 1968-3-25 仙台市・宮県スポーツセンター】


「草創期の建設精神を忘れるな」
恵まれた組織で戦っている私たちはしていかなくてはならない。
組織活動をソツなくこなしているだけでは喜びは生まれない。


組織の中では家庭訪問を中とする、最前線での戦い。
動くとさまざまな問題に直面することもあるし、やりきれないいを持て余すこともある。
しかし、引いてはダメ、絶対に逃げないことだ。語りに語り、動きに動く。
日々挑戦だ。


組織の外では地域友好活動、友人への対話、仕事の実証……等々。
日々実践を積んでいくことだ。


喜びは「勇気ある挑戦」から生まれる、誠実な対話・行動で組織の内外に友好を広げていきたい。
革命児たれ!