道理正しい生活で信心の実証を


 信は、即生活です。信しているから何とかなるという甘い考えではいけない。あくまでも真面目な、道理正しい生活によって信の実証を示さなければ、法を下げ、人々に疑いをいだかせることにもなります。
私は本年も正法流布のために戦います。また、責任をもって皆さん方を守り、雄々しく、朗らかに戦っていく決であります。皆さん方も、生命力豊かに、福運に満ちて、笑顔で前進していただきたい。
その実相があれば、人は自然についてきます。いくら法の立派な話をしても、現実の生活が乱れていては人はついてこない。法は最も身近なところにあるのです。


中略


 ともあれ、時代は順縁広布へ、新しい時代、新しい世紀へと、潮の満がごとく、進んでいくことは、絶対に間違いない。
あとは、幹部が仲良く団結して、見事に歩調を合わせながら、一人一人が自らの役割を自覚し、全力を発揮して、戦線を開ききっていただきたいと願うものです。
 戦いで最も大事なことは、団結であり、スクラムを組むことです。反対に最も恐るべきことは、お互いが情的になり不仲になり、そして無責任になることです。
これらは、全て油断から起こる。結局、油断は己であり、法では、獅子身中の虫として、一番厳しく戒めているところであります。ちょっとしたの緩み、安が敗北の原因になってくることは、いかなる世界においても見られる厳しき道理であります。

【中部三総合本部合同幹部会 1968-1-25 古屋市・愛知県体育館


昭和43年の指導です。
この当時の先生の指導は、信を始めて間もないメンバーにもわかりやすく語られている。
今でも「責任をもって皆さん方を守る」との姿勢は、いささかもぶれることはない。
師の姿勢には、学んでいかなくてはと猛省する。


「雄々しく、朗らかに」とは、今でもよく言われている言葉ですね。
当たり前のことではあるが「現実の生活が乱れていてはならない」とは、信仰者として、それぞれが実践していかねばならないことである。
「その上で団結してくんだよ」と言われている。
わかりきったことではあるが、実際はなかなかしいものです。


壮年部の場合は、たいして影響力もない上、組織活動をそつなくこなす方が多いので問題外ではあるとしても、実際、婦人部の場合「団結」できないと大問題になってしまう。
壮年部の場合、報告をこなすだけで目一杯という方が多いですからね(笑)

私がじるのは「働いている婦人部」のメンバーと「働いていない婦人部」メンバーのギャップが大きいということです。
役職を受けてから仕事を辞めて、働いているメンバーに無理を強要するということが、私の地域ではあります。
しかし、このことが婦人部の間で問題になることはない。


「働いていない婦人部」幹部が、大きな気もちで「できることからでいいから、前向きに取り組んでいくことが大事なのよ」と言ってあげれば、かなり違うとう。
打ち出しを振りかざし「(役職がある)のだから、するのが当たり前。しないのはおかしい」との話はよく聞きます。
この背景には結局、役職によりかかった「甘え」があるのではないだろうか。
相手の立場や家庭環境にいをむければ「同」できるのではないでしょうか。
どこまでいっても、像力がどれだけあるか――であるのでは?といます。
同じ地域で戦う同志でありながら、情的に「反目」している婦人部の方を見ているとそういます。


私はそういう話を聞いた時には「家庭環境や仕事環境を考えてあげればどうですか。相手をどれだけ本気にさせることができるのか――が幹部の使命でしょう」と話す。


がっちりスクラムを組むことのできる「最高の組織構築」を目指し、あきらめることなく前進していきたい。
一歩でも師に続く自分であれ!