強情な祈りで、魔をも仏法守護の働きに
法華経第三の巻・受記品の「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」とは、強情な祈りがあるならば、我々をいじめ、批判し、阻まんとする魔の働きでさえも、必ず仏法守護の働きに変えていくことができるとの意味なのであります。
化儀の広宣流布ということは、一切の敵を味方に変えていくという戦いであります。これからの幹部は、この方程式を忘れず、私どもの颯爽たる正義の行進こそ、いかなるものも必ず心から賛同者としていくことができるという確信をもって、前進していこうではありませんか。
この原理を知ったならば、広宣流布の舞台は刻一刻と転換されていきます。しかし、根性が狭く、自分だけの利益のために学会を利用していこうという考えの人は、この原理にあてはまらないのです。そういう人がいれば、広布の進歩が非常に遅れてしまう。これこそ創価学会を体内から蝕む魔である。
ネット上にうようよしている、学会アンチの面々は自ら「反社会性」を証明している方が多いですね(笑)
現実の中にも、冷静に客観的に正視眼で物事を見ることのできない方はおられます。
しかし、どのような方であっても味方にしていくのが広宣流布であるのならば、颯爽と戦っていきたいものです。
広宣流布は、味方拡大運動であるといっても良いでしょう。
このことをよく分かっていない幹部がたまにいますね。
で、現場にいらぬ負担をかけるために、メンバーが「学会活動がたいへんなのよ」と友人に愚痴ってしまうという話をたまにお聞きします。
これでは、味方を増やせるはずもなく、ましてや折伏にはほど遠い。
地域の方に「学会の会合は楽しそうですね、ぜひ参加させてください」と言われたいなあ(笑)
私の地域では、そつなく成果を出すことが求められることが多い。
逆に言うと、結果が出てさえいれば、問題はないと考えているのであろう。
で、結果の出ていない組織の長に電話攻勢がかかる。
(特に婦人部の場合、壮年部は、報告さえきちんと上げておけば、なしのつぶてなのである――これはこれで問題)
結果を出すための唱題会がもたれ(せっかくの唱題も策なのだ)、打ち合わせと称する詰めが続く(苦笑)
結果、現場では打ち出しのみをしていれば良いという状態になってしまっている。
特に、気をつけていきたいのは「地区や支部の幹部もこの傾向が強い」ということだ。
まあ、組織が小学校の校区割になり地区が細分化され、活動家は増えていないのに、目標設定は変わっていないため(特に地区でこれだけはしてくださいというもの)、現場では連絡・報告に時間をとられ、打ち出し以外のことに取り組めないということもある。
長中期的な視点で戦いを積み上げていくことを忘れずに行きたいものです。
人材育成も最高の味方を育てる戦いの一つであると考えると、打ち出しをこなしつつ、時間をこじあけ取り組んでいきたい。
個人的には、しっかりとした壮年部の核を作り上げるべく、いろいろ試行錯誤している。
共に酒を飲み交わすことのできるメンバーが、増えてきていることが嬉しいのです(たまにですよ)
強情な祈りで、強き味方を育て上げていくぞ!