本当の強さは、信心強盛であること


目先の小さな幸福のために、環境に左右されるようなことがあってはならない。どんな逆境にあるとしても自己の強い信一念で、自分を変え環境を変えていけるのであります。ともあれ、皆さんは幸福の勝利のために、この人生を強く強く生きなくてはならない。
ひとくちに“強く”といっても、表面的な見せかけの強がりをいうのではありません。“強く”とは信強盛ということであり、確固たる主体を確立していくことです。縁に紛動されたり、敗北の人生を歩んでいくような弱々しい人生であっては、断じてならない。

【第17回女子部総会 1968年(昭和43年)10-20 東京・日本武道館


人は、目先の環境や利害、立場とか評判を判断基準にしてしまうことが多い。
実際、実社会では世俗的な立場(会社やそこでの役職)が優位な人が評価される。
普通の世間は、人物本ではなく肩書によって成り立っているところがある――といえるのではないだろうか。
学会組織にもその基準が持ち込まれているなあ……とじることは多い。
親子or夫婦で学会職員or幹部の身内or学歴重視。
ほんでもって、役職が順調に上がっていく人がいる。
中にはそんな環境でも、自分の信を深め会員さんの目線を忘れず現場本位の方もおられるが、ハッキリ言ってそういう方は少数だ。
最前線でコツコツ純真に戦っている方が、評価されることは皆無といっても過言ではない。
なにごとも「イエス」という人が重用されるのが現実だとう。
師は、身近にいるわけでもないのに、最前線へ光をあて、激励の手が伸びる。
しかし、地域の幹部の激励があることは無いのだ。壮年部は特に……ですね。


「先生の指導と学会組織での指導は違う」とじているメンバーは少なからずおられるのではないだろうか。

じゃあ、どうしていくのか。ここで本当の強さを知る必要が生まれる。
師の言われる「信を強盛に」――という一点だ。
判断基準は、地域活動での実証をしめせているか、また、個人折伏や新聞啓蒙の結果を出せているか、職場で実証を示せているか、という現実の行動だ。
下から上を動かせ」との指導は、現場を強くし結果を出し、その上でを上げ、全体を変えていくということだと私はう。
単に見を発信する所には、責任は生まれないからだ。
根っこは「強盛な信」「確固たる主体の確立(自立の信仰)」である。
特に、私を含め「長」と呼ばれる役職を担っているメンバーが、あらゆる味でそのことを自覚すれば、本当の味での「師弟共戦」になっていくのではないだろうか……。


「誰がやらなくとも、私がやります」と言える自分でありたい。
今、自分ができる現実の戦いを勝っていこう。
そう言える一人一人が、「本門の弟子だ」!
微力であっても、私は絶対にあきらめない。
最高の力を引き出していただける信仰を実践しているのだから。
一人でも多くの同志に自覚していただければ、学会は盤石だ!


私はその一枚の礎石になりたい。