信心即生活


「ああ、学会の人は立派だ。あの方々があのように成長していくのだから、ああいう立派な人が信しているのだから、私どももぜひとも話を聞いてみたい、会合に行ってみたい」このような、信即生活、信即社会活動となっていくべきであります。
所詮は財力よりも権力よりも、最も強く、最も尊い人生行路の推進力が信である、最高に有義な人生の前進の姿こそ、日蓮大聖人の弟子となり日蓮大聖人の子供となり、日蓮大聖人の使いとして、信根本に不幸な人々の味方となって生きぬいていくこと自体であるということを、偉大なる誇りとして、私どもは前進していきたいとうのであります。

1963-5-3 第25回本部総会 両国・日本大学講堂


真面目な人なのに、信と生活が離れている人ってたまにいますよね。(笑)
壮年部になってから、「この人は、何のために学会活動をしているのだろう」とじてしまうことがよくある。
過去には私も、そうなってしまったことがある……。(私は、あまり真面目ではありませんが)(笑)
真面目な人が陥りやすいのかなとじます。真面目なことはいいことですが、それがゆえに、他人にも真面目さを強制してしまう。結果、周りの人に嫌われてしまう。


現実は、そんなに単純ではありませんが、組織の中にも真面目ゆえに、原理原則だけにこだわってしまい、それを皆に強要してしまっている人。いますね。
「打ち出しだから」とか、「幹部がこう言っていたから」とか。
識のうちに、メンバーをしくさせてしまう。


「最も尊い人生行路の推進力が信である」のならば、「信」を根本に、「不幸な人」「悩んでいる人」の立場になって考えることが必要なのでしょうね。
人を育てていかないと、この機微は自分のものとすることができない。
その上で、組織ですから「打ち出し」を利用し、相手がやる気になるように、対話をしていく。
メンバーに「強制か」とわせた時点で負けだ。


まあ、私もまだまだですが。(笑)
大事な戦いの真っ只中、活動家が一歩成長の歴史を刻めるよう、足を運んで行きたい。




台風で外は強風が……。す、すごいです。
わが地域は海側での高潮が配です。