外から見た創価学会
「中部青年平和文化祭」で実感した学会のパワー
ナゴヤドーム建設準備協議会に参加したころ、創価学会から「建設予定のナゴヤドームで中部青年平和文化祭を開催したい」というアプローチがありました。当時、準備協議会にはイベンターののプロは不在で、ドームを使ったイベントの可能性を模索している状況でしたから、このアプローチは大歓迎でした。まもなく開催は決定し、学会員の知り合いが多い私がナゴヤドーム側の窓口となりました。
開催が決定してからほどなく、ドームの近所に住む学会員の方から連絡があり「地域の会合に出席して、ドームについて話してほしい」という要望をいただきました。専門家でもない私は、何を聞かれるのか不安で、戦々恐々として学会の会館に赴きました。
会場に入って不安は驚きに変わりました。会場にはとても大きなナゴヤドームのパースペクティブ(完成予想図)が張り出されていたのです。ドームの関係者でも持っていないほど大きなパースペクティブでした。それを見て、自分たちのやることを、これほど熱望してくれているんだと感動しました。ナゴヤドームの建設を我がことのように喜び誇りに思っていただいていることに対し、驚きは感謝の念に変りました。
会合では会員の方々の熱意ある姿勢を目にし、ナゴヤドーム建設事業は地元の人々の支持があるのだと実感し、勇気づけられました。どんな事業も地元の支援がないと必ず破綻します。何よりもまず地元に暮らす人々から支持を得ることが大切なのです。
当時の記録を見ると、開催までの数ヶ月間、毎日のように「深夜食」がスケジュールに入っていました。開催当日までの9日間は、学会員の方が徹夜作業を続けておられたのを今も覚えています。密度の濃い、きわめて周到な準備でしたね。文化祭当日の演技も素晴らしいものでしたが、これまでの準備を見てきた私にとっては、演技自体は氷山の一角にすぎませんでした。当日には参加できなくとも実に多くの方が背後の支えになっており、その陰の尽力こそが素晴らしいと私は思うのです。
これほどの一体感のあるエネルギー溢れる仕事ができたのは、ひとつには創価学会員の「信仰」の力があるのでしょう。それとともに、文化祭へ向けて「共同体の意識」が形成されていったからではないかと思うのです。その意識は周囲にも影響を及ぼし、ナゴヤドーム側のスタッフもエネルギッシュに働いておりました。当時の担当者も、「あの時はすごかった」と今でも語っております。
愛知がんばれ!
埼玉・神奈川・大阪・東京。
5選挙区の完勝を祈る。