成果目的の組織


壮年部になってから、丸5年が過ぎた。
ちと振り返って、地元組織について書き込んでおきたい。
あくまでも個人的な見解であり、一地方限定の組織についてのことであることを明記しておく。


地元組織は本当に弱いと感じる。
力のある人はいるのだと思うが、生かされていないというか、力のある人ほど組織からは遠ざけられているように思う。
ここでいう力とは、当然「信仰力」「行動力」「人格力」ということです。


一番の問題は、組織の目的が「広宣流布」には無く「成果」であるということだ。
打ち出しをこなし、成果報告を取っていればOKというおかしな状態に陥っている。
結果、成果(数)が出れば喜び、出なければ「厳しいな」という判断が下される状態だ。
で、細かい打ち出しと報告に追われるのが地区なのである。
その上、活動家には王城会・壮年創価班・本幹役員・新聞・民音・書籍・ビデオ等組織運営も絡んでくる。
じっくり家庭指導する時間が無いのだ。
これでは、家庭指導をすることのできる力もつかない。
現場では会合連絡が活動になり、人間関係を深めることもできない。
人間関係が深まらないということは、個々人の「悩み」を聴く力が組織にないということだ。
一人の人に光が当たることはなく、細かな打ち出しをこなすことが活動になっている。
会合では、成果と打ち出しのみが語られ、突出した成果を自分がしたことのように語る檀上幹部。
現場は完全に受け身になってしまっており、打ち出しのあった事柄にしか反応しない。
まあ、何かしようとしても時間が足りないのが現実なのだ。


原因はいろいろあると思うが、一つには幹部の力不足ということだろう。
ここには、私も含まれている、打ち出しに追われっぱなしだ。


だいたい、訓練の場が無い。
それに、自由さが失われているということもあると思う。組織に縛られているわけです。
平成2年のあの時「創価ルネサンス」で学んだことの一つは「いかなる権威・権力にも縛られることなかれ」ということだ。
公明党にしてもしかりだと思う。
鉄鎖を引きちぎる必要がある!


組織は権力とイコールになってしまうという良くないところがある。
信仰者団体である創価学会のメンバーは、人のいい純真なメンバーが多いために盲信的になってしまいやすいのです。
少しでも、力があるのならばそういうメンバーの防波堤になっていくべきだ!
学会の有役職者は実質的に、自分の背中に何人のメンバーがのっかっているか確認してほしい。
個人の責任で、しっかり面倒を見ているメンバーが何人いるかということだ。
それすら分からないのであれば、池田門下生とは言えないのではないか?


自由には、責任が伴う。
大聖人仏法は、「偉大なる自由人」「偉大なる人格者」を生み出すための最高の哲学だ。
しかも、誰人にも「自由人」になれる可能性があると説く。
その代表が、我が人生の師匠だ。


不自由の壁をぶち壊し、自由を勝ち取れ!
自由であるということは、一人一人が全責任を持ち自ら考え行動することだ。
自ら考えて行動するところには「喜び」が生まれる。
自己満足に陥る危険性は常にありますが……。


ええい、これも書いておこう。
人事のことだ。
この5年間、数回の人事があった。
壮年部になってからズーっと正役職を2つも兼任しているが、人事の相談を受けたことは無いに等しい。
発令日の前日に、一通のFAXがカタカタと送られてくるだけだ。
その書類を握りしめて「ノエーーーーー」と叫ぶ私(笑)
担当幹部を決めるのも同じで、ある日突然FAXが送られてくる


決定した後、人がいないために「あと、どうしましょうか」という相談があったのみである。
これじゃねえ……(苦笑)
「まあ、使ってもらえるだけええか」と思うしかない。


しかし、どこかで抜本的にテコ入れしないと、すでに壊滅的状態になっているような気がする。
打ち出し中心をやめて、地域広布の作戦を支部・地区でしっかり練り実践していかなくてはならない。
一方通行の「打ち出し垂れ流し」をやめるべきだ。
双方向で細かい作戦を練りこむことが大事。


てなことを、打ち込んでいると壮年本部長が配布物を持ってきた。
先ほどのような内容を中心に、しばし歓談。
この本部長は、前にも紹介したようにS大出身の後輩で、私の派遣先支部が地元。
かわいそうなことに、男子部卒業後、地区部長1年・派遣支部長1年・現本部長(先月)。
ものすごくまじめな男なので、めちゃくちゃ気を使っているようだ。
彼を見ていると「守ってやらんと」と思う。
少しだが、前向きな作戦会議ができたし、来年に向けて布石を積み込んでいこう。


「鍋・忘年会やろうぜ」と約束したことは、秘密……(笑)


読み返して、少し追記しました。
こういうところは、ブログのいいところです。


ブログ村に「創価学会」というカテゴリーができている。
増えてきているとはいえ、まだまだ参加メンバーは少ない。
聖教の紙上座談会などで、ネットは良くないことが多いと表明しているためだろうと思う。
それと、活動家には時間が少ないということもあるのでしょう。
んが、一人でも一行でもいいから書き込みを始めてほしいと思う。
初めてネットの世界に飛び込んだ時のことを思い出してほしい。歯ぎしりし怒りがこみあげるような所が多かったはずだ。
一行でも創価思想を打ち込んでいこう。
愚かな輩が愚かな主張を発信していることの多いWeb上ではあるが、私は時間をこじ開け続けていく。
これからも「創価学会」でくぐったときに、力のある所が一つでも多くヒットするようにしていきたい。
私が続けている理由でもあるのです。
皆様、これからもよろしくお願いします。