嫁の活動報告


嫁が婦人部の会合で活動報告しました。
「ブログにアップしてもいいよ」と言ってくれましたので、書き込みます。



 私は4年前より体調不良となり、配達員子育て仕事活動にと走り続ける中、体の痙攣や呼吸困しみ、体重が30キロも減ってしまうという状態になってしまったのです。
その上、臓の痛みにおそわれ、耐えきれず医大で診察をうけました。
結果は「バセドウ病」とのこと。
しかも、不全で死んでも不議ではないぐらいの病状であるといわれ、すぐに投薬が始まりました。
しかし、薬が体に合わず、一昨年の8甲状腺の全摘出手術」をうけました。


 その後、昨年1から何とか地区に復活。
去年年頭からの折伏戦がはじまっていました。
しかし、薬の副作用でうつ状態になることが多く、学会活動が本当につらかったのです。特に皆のまえでしゃべることが本当につらかったです。
そんな状態でしたが、折伏していた友人の「N君」と法対話を続けていて「病気には負けん、絶対勝つで!」と対話していたこともあり、負けるわけにはいかないと気合をいれました。
 しかし、そのさなかお風呂で転倒「右足首骨折」。正直気がくじけました。


その時は、夫婦で御書を拝読しました。
ちょうど、開目抄の「我並びに我が弟子諸ありとも」につづく「まことのときには忘るるなるべし」との御文でした。
旦那は派遣で学会内別居中ですが、「今がまことの時だ」必ず味があると奮い立ち、法対話を続けました。
 

 喉に傷痕、足にはギブスの私が満面の笑みで「絶対に強くなれる!幸せになる信を一緒にやろう!」と語ると、N君にはどう映ったのか「僕も変わりたい。楠さんが早く治るように祈るわ」と入会を決。昨年6御本尊様をお受けすることができました。


 ただでは転ばないのが婦人部パワーです。


 地区として更に8には、N婦人部副本部長夫妻の紹介でKSさんが入会。
Kさんは4・5年前から婦人部総会はもちろん副運Gも度々参加して下さり待ち焦がれての入会となりました。
さらに姉の折伏でMMさんが入会。
座談会では毎回新メンバーが参加し大動で湧き立ちました。


 折伏歓喜の中、地区の取り組みも変わってきました。座談会は担当のT副本部長が共に奔走してくださり、昼夜と最低3回は開催。多い時には4・5回の時もあります。
唱題会も週2回が定着し、常に5〜8のメンバーが集まるまでになりました。


 年末の三国志展もこの唱題会のメンバーが中になって頑張りました。ある八十二歳の多宝会の方は「若い時に吉川英治三国志を読んだ。今日は本当に楽しかった」と激していました。
私も、仕事先でチラシを配ると「友人が赤壁の写真を中国まで撮りにいったほどだから是非一緒に行くわ」と喜ばれました。


 我が家の小5小3の後継者たちも総動員です。2人とも昨年3より勤行に挑戦しています。上がりなところがあるため、どんな状況でも緊張せずに導師ができるよう2人のどちらかが導師をし、私たち夫婦は後に続くのが恒例になっています。
その生命力と勢いで小学校の友人と先生にチラシを渡しました。小3の娘には「先生に見せてあげようね」とビデオを持たせました。すぐに見てもらわねばとい「先生の次に早くみたい方がいますので、見次第、娘に持たせて下さい」と手紙を添えました。
 先生はその日のうちに、何とクラス全員でのビデオ観賞会をしてくれました。
こうして世帯の3倍というどうかんがえても無謀でしかない目標を、執で達成する事が出来ました。
三国志展が終わっても2〜3日夢に見るほどの戦いでした。


 同時並行で取り組んだ財務の戦いも引っ越し等で、減る中で先輩と毎日地区を回り、去年できていなかった2の方もして下さり結果昨年より増やすことができました。


 昨年の戦いを通し目標に挑戦していく中でメンバーと毎日顔を合わせる事でつながりも深くなり「楽しかったわぁ!」と、楽しく喜んで、手を取り合い次の戦いに弾みをつけていくことが大切だと実しました。


 池田先生は「今この時、一日一日、自らを訓練しているかどうか。自ら人間革命しているかどうか。その地道にして辛抱強い繰り返しによってしか「常勝不敗の力」は生まれない」といわれています。いよいよ福運G大会です学会理解を深める対話のチャンスです。
今年は普段参加できないメンバーが一人でも多くの友人と楽しく集えるようなG大会にしていく決です。                                      以上


親バカに近いかもしれませんが、常に前向きな嫁に感謝。
全国の家庭の太陽、婦人部に感謝。
壮年部もやりまっせ〜〜〜。