第一回四国総会4
万事「一人」から出発、「一人」を育てよ
さて法華経「普門品」では信仰する「一人」がいれば、周辺の人々も皆、救われる場面が説かれている。(開結622頁)
たとえば、大海へと航海に出かけた船が漂流し、鬼の国に着いたとする。高知もかつて海の難が多かったが――。その中で一人、観世音の名を唱える人がいれば、今でいえば妙法を唱える人が、全員が救われると説いている。
「一人」が大切である。その「一人」が、船という“運命共同体”を幸福へと引っ張っていく。
家族、会社、地域などでも同様である。
「一人」が唱える妙法の力用は、それほど大きい。太陽がひとたび昇れば、いっぺんに周囲を照らすようなものである。「一人」の成仏が眷属をも救っていく。
ゆえに決して、家族の誰かが信仰していないことがあっても、そのことで、いたずらに苦しむ必要はない。また、周囲の人々の幸福と入信を願い祈る心は心として、“自分一人あれば、皆を良い方向に引っ張っていける”との確信が大事である。
それが法華経の教えである。そこから安心と信頼の波も広がっていく。そこに長い目で見た時の広宣の深き土壌もできていく。人を苦しめるような、かたくなで偏狭な行き方は、仏法の真の精神ではない。
「普門品」には、こんなシーンもある。商人の一団が重宝を持って旅し、盗賊に遇う。しかし、この隊商(キャラバン)のなかに一人の信仰者がいた。彼は「なにも恐れることはない」と皆を激励し、その「無畏(恐れる事なし)」の心に打たれた商人たちは勇気を得て、彼の確信に同ずる。そこから全員が難を免れる。(開結624頁)
人数のみではない。「一人」の強き信心の人を育てることである。そこに根本、根っこがある。そこから一切が開花していく。
「一人」が大切。
家族が未入会のメンバーは結構いますよね。
馬鹿な幹部だと「あなたの信心が足りないからよ」的な心無いことを言う。
折伏になると未入会家族を捜しまくって「あなたの信心で決まるのよ」と……。
よく聞く話です。
未入会家族を折伏していく戦いも、大事な戦いではある。
んが、「その気」にさせずに、戦いだけを押し付けていくのは違いますね。
こういうのが多すぎると思うなぁ。
これは、どんな戦いにも言えることですが、「勇気の出る激励」「ちょっとした一言」が大事だ。
「一対一の対話」で勇気の波、信頼の波を広げていきたい。