『人間革命』の歌

君も立て 我も立つ
広布の天地に 一人立て
正義と勇気の旗高く 旗高く
創価桜の 道開け


私が「山本伸一」の名前で作詞作曲した、『人間革命の歌』の一節である。
1976年(昭和51年)7月度の本部幹部会で発表したものだが、完成をみるのが発表直前になってしまったため、演奏と合唱を担当してくれた方々には、かなり負担をかけてしまった。
学生部音楽委員会、富士学生合唱団、そして女子部の有志のメンバー――彼らは練習する時間も満足に取れなかったにもかかわらず、会合では、若々しい青春の歌声と演奏を、見事に披露してくださった。せめてもの感謝のしるしにと、共に記念のカメラに納まった。
ところで、この歌を作った当時は、すでに第一次の宗門問題の兆しが現れていた時期であった。聖職者であるべき僧が、あろうことか信徒を見下し、かりそめの宗教的権威をかさに、民衆を支配しようとする策動であった。後に、いわゆる“正信会”を称する一部の悪侶たちが、全国各地で、学会へのいわれなき非難・中傷をあびせかけはじめていたのである。
それらが、私一人に向けられたものであれば、まだよい。大切な学会と学会員を守るためならば、私自身は、どんな批判の矢面にも立とう。だが、ひたすら「僧俗和合」を願い、守りに守ってきた聖職者から、一方的にいじめられ、ののしられる庶民の悲しみ、苦しみ――それが、どれほど深く、大きなものであったか。
しかも、そうした悪侶の策謀に対する、やむにやまれぬ正義の声すら、表立ってはあげられないという厳しい時代であった。それでも同志は「和合のために」と歯がみをする思いで、耐えに耐えてくださっていたのである。
その健気なる尊い友のために、果たして何ができるのか。
私は人知れず、さまざまに思索を巡らした。――『人間革命の歌』は、そうした背景のもとに生まれた歌である。

「歌の心を知れ!」――恩師の厳愛の教え

歌には、「人を前向きにする」力がある。歓びの歌、旅立ちの歌、革命の歌、愛の歌――。時に、それは、太陽のごとく、人々の心の大地を照らす。大いなる勇気と希望を沸き立たせてくれる。時には月光のごとく優しく人を包み、その心を癒し、明日への活力を静かに蘇らせていく。一曲の歌がもつ力の大きさは、時として計り知れない。
また、民衆のにぎやかな歌声のあるところ、そこには常に「自由」があり、「躍動」があると思う。逆に、民衆の歌声を封じることは、歴史に照らしても、権力による圧政の一つの象徴であった。
民衆をいじめ、僧衣の権威で縛りつけようとする悪侶らの陰険な言動――だからこそ私は、いわば新たなる「魂の自由」の歌、「幸福への前進」の歌を、全国の友に贈りたかったのである。
嵐吹きすさぶ時こそ、仏法者としての「人間革命」の好機ではないか。「地涌の同志」が、使命の道を勇んで開いてゆくべき、旅立ちの時ではないかと。
そもそも私の恩師・戸田城聖先生は、よく「歌の心を知れ」といわれていた。どんなに素晴らしい歌も、その「心」がわからなければ、その歌を知ったことにはならない、歌ったことにはならない、と強調されていた。
歌い方一つにも、まことに峻厳であられた。私たち青年に、「そんな歌い方で、この歌の心がわかるか!」と叱咤されることも、しばしばであった。ご自身が作詞された「同志の歌」、あるいは「星落秋風五丈原」の歌、「霧の川中島」の歌――歌といえば、恩師との思い出は尽きない。
ともかく青年を育てよう、教えておこうというお心である。厳愛の教えは、歌い方ばかりではない。実に、歌の指揮の執り方にも及んだのである。
「大作、私の前で指揮を執ってみなさい。舞を舞うように取りなさい」――ある時、そう恩師が言われた。それも、一枚の座布団を示されながら、「この座布団の上から、はみだしてはならない」と言われる。
戦いにあたっての「静と動」、緩急自在の呼吸というものを、歌の指揮を通じて教えようとされたのであろう。真剣に舞う私の一挙手一投足に、じっと厳しい目を注いでくださる師の慈愛につつまれて、私は幸せであった。
「歌は、心で歌うものだ。そして心で聞くものだ」。作詞に取り組む私の脳裏からは、恩師の姿が、言葉が、瞬時も離れることはなかった。
――私は、恩師とともに、あの『人間革命の歌』を綴ったつもりである。


やがて歌詞はできたが、問題は曲のほうである。もとより専門的な音楽教育を受けたわけではないし、楽譜で音階を追うこともおぼつかない。曲の一応のイメージができあがると、周りの若い人の意見も確かめながら、少しずつ練り上げていった。
「ここは、もっと強い曲調で」「この一節は、もっと軽快なタッチにしてはどうか」――試行錯誤を重ねた末に、ようやく詞と曲を揃えることができたのは、幹部会が間近かに迫った日の夜であった。
ただ、多くの友の前で発表する歌である。友たちがどう聴いてくれるか。自然に口ずさめる作品に仕上がったかどうか。
作詞・作曲者としては、やはり気になる。そこで、できたばかりのテープを、各方面、各県の中心者をはじめ何人かの人に、一足早く“試聴”してもらうことにした。
学会本部の事務室の一角で、全国に電話をかけては、ピアノの旋律に歌声を重ねただけのデモテープを流すのだが、この電話も一本一本かけていたのでは、いくら時間があっても足りない。
事務机の上には三本の電話があったので、私はそれぞれに相手が出るのを待ち、三つの受話器の前で、テープレコーダーを回した。各地の友の大切な顔を思い浮かべては、その健闘を祈り、念じながら、生まれたばかりの曲を送る。とうとう、真夏の夜の試聴会が終わったのは、かなり夜も更けてからであった。


ピアノといえば、私がピアノに取り組みだしたのは、いつごろのことだったろうか。もとより日々の執務のなか、わずかな暇を見つけてのレッスンである。いきおい鍵盤に向う時間も不規則になりがちなので、多少たしなみのある妻が、手ほどきをしてくれた。
妻にとって、ずいぶん無理をいう生徒ではなかったかと思う。だが、私がピアノをはじめたそもそもの動機も、日々、激闘にある第一線の同志に、せめて心潤う「文化」のひとときを贈りたい、との気持ちからである。
とりわけ宗門の圧迫が激化するにしたがい、残念ながら、私にとって、全国の友と直接語りあう機会まで、ままならぬという時期があった。
そうしたなか、友の要望に応えて、私がピアノに向うという折々が、かなり増えていったのである。
さいわいなことに、全国の友は、『人間革命の歌』を愛唱してくださった。私の「心」を受けとめてくださった。
しかし、その後、波浪は、更に激しく学会に襲いかかってきた。一時期は、とうとう、この『人間革命の歌』をはじめ、いくつかの愛唱歌さえも歌えない、いな、歌ってはならないという状況になったことを、今なを覚えている方もおられるであろう。

いかねる権威も、心は縛れない

だが、いかなる権威も、人間の心までは縛れない。会合の帰り道で、一日の仕事を終えてたどる家路で、友は『人間革命の歌』を口ずさみながら、あの苦しい日々を進んでくださったのである。
『人間革命の歌』は、どんな吹雪にも、胸を張って生き抜いていこうという心を歌ったものである。人生には、暴風雨があり、暗い夜もある。だが、それを越えれば、再び、晴れた青空を仰ぎ見ることができる――。
冬の寒さを知る人こそが、春の暖かさを実感できる。苦しみが深かった分だけ、大きな幸福の朝が光るのである。どんな「運命」も「価値」に転換していく人――それが、人間としての勝利者であり、王者であろう。その王者の「前進の歌」となれば、これほどの幸せはない。
――今回の宗門との問題が起こった時、宗門は今度は、ベートーヴェンの「歓喜の歌」を歌ってはならないと言いはじめた。聞けば、「キリスト教の神を称える歌」だからという。
文豪シラーの詩に、楽聖が渾身の力をふりしぼって、自らの魂の息吹を吹き込んだこの歌は、文字通り「人類の財産」ともいうべき歌である。ベートーヴェンは、自らの人生観、音楽観をめぐって、こう語っている。「わたしにとっては精神の王国のほうが大切であり、それはあらゆる宗教的・世俗的君主国の上にそびえるものである」と。
楽聖自身の考えに従えば、「歓喜の歌」もまた、「神を称える」どころか、むしろキリスト教の神をも超越した、人間の「精神の王国」の壮大さを賛嘆した歌といえよう。このことは、「世界の常識」である。
――結局、宗門の言い分は、要するに、「文化」と「平和」の活動への無認識と、学会への妬みからであった。まことに愚かしい「言いがかり」というほかはない。


それと同様、かつての“正信会”問題当時の悪侶たちも、あれこれあげつらっては、学会員に「学会歌の歌唱の自粛」を求めた。
いずれも、「麗しい学会の世界を破壊したい」との悪意から生まれた策謀であったと思う。同志と同志の絆を分断するために、彼らは、歌声さえも奪い去ろうと図ったのである。
しかし、その結末はどうであったろうか。やがて学会は、そうした険難の峰も見事に乗り越え、更なる発展への道を切り開いていくのだが、その詳細は、この稿に綴るべき事柄ではあるまい。
ともあれ邪悪な聖職者の鎖から開放され、「魂の自由」、そして「歌うことができる自由」を勝ち取った今――私は、『人間革命の歌』のこの一節を、改めて全世界のSGIの友に贈りたい。


君も見よ 我も見る
遥かな虹の 晴れやかな
日出ずる世紀は
凛々しくも 凛々しくも
人間革命 光あれ
人間革命 光あれ

【大道を歩む 私の人生記録 102頁】

学会歌には、それぞれの歴史がある。
昔、「『人間革命の歌』は、手拍子をしないのが基本」と先輩に教えてもらった。
最近はこんなことを教えてくれる人は、いなくなってしまいましたね。会合で学会歌を歌わないことも良くある……。
そんなにこだわることではないのかもしれないが、学会歌に込められた「師」の思いの一分でも感じることのできる自分でありたい。


大事な戦いの第一幕が開いた。
皆と共に、学会歌を高らかに歌いながら大勝利へ“驀進”だ。