高知・南国圏勤行会2

強く、前へ、その人が勝利者


 人生は“強く”また“強く”生きることである。“前に”また“前に”進み続けることである。頭を上げて、堂々と生きる人は幸福である。その人に、人生は道を開ける。も逃げていく。
 かつて、この高知においても、御存じのとおり、子への迫害の嵐が吹き荒れた。悪侶のために、どれほど皆がいじめられたことか。多くの人が涙を流し、私はその訴えを聞いた。この事実は一生涯、私たちの胸から離れないであろう。
 2度と、こうした不幸の歴史を繰り返してはならない。鋭く真実を見抜き、強く護法のために戦わねばならない。「大勇」の信に、乗り越えられぬ山はなく、打ち破れない壁はない。
 これからも広宣流布の途上には、どんながあるかわからない。しかし、何ものも恐れることはない。「法華経の兵法」に勝るものはないからである。
 正義を正義として、真実を真実として、勇敢に叫びきっていくことである。沈黙する必要はない。へつらう必要も絶対にない。中世の暗黒時代とは違うのである。
 とくに信仰の世界においては、活動に参加するのも、会館の会合に来るのもすべて、幸福になるためである。皆、から納得できる人生のために信仰している。ゆえに指導者は、絶対に子を地悪く抑えつけてはならない。
 会えばホッとする。何でも話せるし、喜びと希望がわいてくる。それが真の指導者である。行けばホッとする。道修行への勇気がみなぎってくる。それが会館の使命である。この点、職員の方々も、よろしくお願い申し上げたい。

1990-11-26 高知・南国圏勤行会 南国文化会館 全集75巻343ページ】


1990年(平成2年)は「原点・求道の年」。
余談だが、私は8に「地区リーダー夏季講習会」(大石寺)に参加した。
前日にあった「創価班研修会」と後日にあった「牙会研修会」にこられた池田先生は、来られていませんでした。
でも、私には、いい刺激になりました。


それはさておき、ご存じの通り、第2次宗門問題が起こった年である。
高知指導直前の116日「第35回本部幹部会」でのスピーチに対して、癖をつけてきたのが天日顕だ。
「第九」を歌うことは「謗法」との、人類の英知が残した文化を否定したのだ。


後でわかったことだが、この年の7には「C作戦」の謀略が宗門内で計画されていた。
721日池田SGI会長、秋谷会長が目通りした際、日顕は、
法主の発言を封じた、驕慢だ! 驕慢謗法だ」と怒鳴った。そして池田誉会長に対しても、「あんたにもいっておきたいことがある。懲にかけるから」(地涌176号より)と言い放った。
参考資料「創価クロニクル1990年」


当時、私たちは何が起こっているのか、まだまだ良くわかってはいなかった。
伝わってきたのは、「お尋ね文書」の件と「1227日の宗規改正により池田先生が総講頭を罷免」ということだけだった。
これも当初は、宗規が変わったためという柔らかなじであったようにう。
新年にも地元寺院に、警備着任したと記憶している。


私にとって第2次宗門問題は、まさに、紛(まぎ)らわしく突然に、紛然(ふんぜん)と起こってきたのです。
本当のことが伝わってきたのは、ずっと後のことであった。
翌年に宗門は、一方的に学会員を破門しました。学会員としては、日顕を否定したわけでもなんでもなく、あっちがかってに破門したわけです。
こんなのも珍しい話だ。
当時の学会員さんは、登山(一回は大石寺に詣でる)とか日帰り登山とか、私でも学会活動を始めてから年間2回は登山会に参加していましたからね。
だいたいそのように、熱な信徒であった創価学会員を、供養を受けていた坊主が一方的に破門したのですから。考えると変な話なのです。


まあ、「破門されなくても」その時にはかなりのことが分かってましたから。
「何をいまさら」てなじでしたけど(笑)
坊主いらないしー。
大石寺の歴史は、富士の清流どころか、濁りきった濁流だったこともわかってたしー。チーン(爆)


いまでは、どこからどうみても「創価学会」の完勝だ。
そして、宗教的権威主義(坊主が上で信徒が下)というくさった化石(笑)であった、宗門(坊主)と別れたことで、創価学会は世界中に開けた世界宗教へと脱皮することができたのです。(ある謝)


ようは、「宗教的権威」「寺信仰」「日本独特の長いものには巻かれろ」という、「黒き鎖」を断ち切り、末法において「信仰は自主・自立『戦ってなんぼ』という信仰者団体」という立場を打ち立てることができたのだ。
「2度と繰り返してはならない」という師のいを現実に実践し、魂の自由を勝ち取ったのです。


その上、「僧俗和合」という麗しき関係を僧侶の側が否定したから、第一次宗門問題当時おきていたことが表面化した。
まあ、おかげで、鎖に繋がれていた、陰の歴史を学ぶことができたのです。
んー、私達は、いろいろな味で恵まれているのだといます。


第二次宗門問題は、あの時、ある弟子が覚醒した歴史です。
そうです「学び語り継いでいかなくては」ならない歴史なのです。
この場所は、ネットではありますが、あるメンバーと共に「破邪顕正の剣」を掲げ、創価の正義を宣揚していきたい。


評論家ではなく、実践者でありたい。
だれがではなく「私がやります」というのが弟子の道だ。
役職を頂いたということは、自分の責任範囲は、自分に責任がある。
あきらめることなく、粘り強く実践していきます。(決)


今日は、「ここまで!」ありがとうございました。