高知・南国圏勤行会1

金剛の信に金剛の幸福

高知県は、「新港」の建設など、世界へと開いた壮大な発展への道を歩んでいる。二十一世紀には、全国からうらやまれるような繁栄の地となるに違いない。また、そう期待している。
 ところで、釈尊教では二百五十戒とか五百戒とか、たくさんの厳しい戒律があった。しかし現在は「末法無戒」と言って、そうした戒はまったく必要ない。
 ただ一つの戒は、御本尊を持(たも)ちきることであり(受持即持戒)、ここに「金剛宝器戒」の本義がある。
 「金剛宝器戒」については、これまでも論じたし、本日はくわしい話は略させていただくが、金剛とはダイヤモンドのことである。ダイヤは、どんなものにも壊されない。ダイヤはあらゆる宝石より輝いている。宝石の王者である。
 そのように、この「信」という「金剛宝器戒」を持った人は、何ものにも侵されない。“金剛の幸福”の当体になる。だれが不幸にしようとしてもできない、何が起ころうとも崩れない“幸福のダイヤモンド”を、生命の“核”として固め、いだく人生となる。まさに“金剛の生命”である。
 だからこそ、「信」も金剛の強さが必要である。一生涯、御本尊から離れず、一生涯、広布の王道から離れない。その信に一切の戒も功徳も含まれている。
 幸福へのあらゆる知恵と、勝利へのあらゆる兵法が収まっている。大きな飛行機で青空を飛ぶように、王者のごとく、悠々と、人生を遊戯(ゆうげ)していける。生々世々、常楽我浄のすばらしい境涯を楽しんでいけるのである。これ以上の生命の軌道は無い。
 幸福になるための信仰である。楽しみきっていくための人生である。
 日々の勤行や活動も“やらなければがあたる”などと追いつめられ、しみながらやったのでは、自分がつまらない。喜びがなければ、真の功徳じられない。たとえば“食事”も義務的にイヤイヤ食べるのと、楽しくおいしく食べるのとでは大違いである。
 勤行は、いわば生命に“栄養”をたくわえる“食事”ともいえる。ゆえに、勇んで行っていくほうが、自分が得である。
 もちろん、時には体調が悪かったり、時間がとれず、勤行が完全にはできない時があるかもしれない。しかし、それを理由に、家族の中でお互いを責めたり、攻撃しあう必要はない。
 大切なのは「持続」である。長い目で、また「自分が全部、一家を照らしてみせる」とのおおらかな気持ちで、あたたかく励まし合いながら“幸福へのリズム”を築いていくのが聡明な信仰者である。この点、とくに一家の“太陽”であるご婦人の皆さまの賢明なリードを、壮年部を代表してお願いしたい。

1990-11-26 高知・南国圏勤行会 南国文化会館 全集75巻 341頁】


100年に一度といわれる「不況」の大波が押し寄せつつある。
家庭訪問先で話していると、地元の某大手メーカーも前年生産比で70%も落ち込んでいるとのこと。
「今年はどうなるんやろ」と不安がっていました。
「私達の信はピンチがチャンスです」と話し、週1回一緒に唱題会をすることになりました。


うちも弱小企なので、真剣に祈り挑戦していかないとあぶない!
「なんとかなる」ではなく「なんとかしていくぞ」と決
法は真剣勝負だ!
“金剛の生命”を輝かせ、幸福へのあらゆる知恵と、勝利へのあらゆる兵法を駆使し、日々努力を重ねていきたい。
仕事も信も「一念」を定め、強く祈り実践していくぞ!