不当な権力と戦え!
御書を読んでいてふと思いました。
大聖人はさまざまな権力に対して戦いを挑んだのではないか……と。
教学力のある方からは「あたりまえです」と言われそうですが(笑)
宗教的な権力の代表は「極楽寺良寛」等。
政治的な権力の代表は「北条時頼・時宗」等。
で、権力に取り入っている宗教者に対し、当時有効であった「法論」を呼びかけた。
当時の法にのっとって戦いをおこしたのである。
御書「頼基陳情」や「滝泉寺申状」を見ると当時の法を順守しつつ戦おうとされていたことがよくわかる。
現実には当時、宗教的権威を持っていた、高僧と呼ばれていた人々は、公場対決から逃げ、権力者たちの中で自宗を信じている権力者を動かし、大聖人を無実の罪で断罪した。
注・当時は法論に負けると改宗した。(今はそんなことはないですね)
例・伝教大師は、天皇の前での法論に勝利し「比叡山に迹門の戒壇を建立」することができた。
大聖人の法難である、松葉ケ谷・伊豆流罪・小松原・竜の口・佐渡流罪は、全て権力からの弾圧。
単純に見すぎる所はありますが、成り立つと思います。
御書を読む限り「個人的な他信仰者」を責めたものは見当たらない。
大聖人を信奉していた信者に対しては、信心の深浅によってわかりやすく書かれている。
ということは「誤った信仰を攻撃し、誤った信仰の指導者を攻撃していた」と言えると思う。
悪侶に対しては、言葉を武器とし、けっこう過激な表現をされている部分もある。
Web上には、さまざまなサイトや掲示板がある。
学会員同志の掲示板でも、愚痴を垂れ流し「不審」のタネをまき散らしている所もある。
特に、先生の勇退をネタにしてし。「我見」の「正義」を振りかざしている所は要注意である。
教条主義であることに気が付いてほしいと願うばかりである。
「仏法中道」の垣間見えない所は、信用できませんね。
だいたい、恥ずかしげもなく「正義」を掲げている所が多い。
現実の中で堂々と「正義」を掲げることは大事であると思う……が。匿名では説得力は皆無だ。
先生のことを宣揚しているかの如き、見出しを掲げている掲示板もある。
その中でも、学会系の掲示板で、法華講員と「言い合い」に近いやり取りをされている方がいます。
私もそんな書き込みをしたことはありますが(苦笑)現実的に意味がないです。
何が言いたいのかというと、そんなことをしても「広宣流布」には役に立たない。
しかし、一人一人の力量によって、例外もあります(メールで折伏される方もいますからね)が、まれであると思います。
中途半端にかかわることは、初信のメンバーの不信のもとになってしまいます。
「ネット上での文字戦は、力量が必要である」と言うことです。
ネットというのは、情報の収集やスピードが利点であり、いいところを生かしていくことが大事。
何の権力もない法華講員や学会アンチ等を個人攻撃しているメンバーもいますが、中途半端になると、不信のもとになると断じておきたい。
そんな暇があるのであれば、個人折伏・現場最前線の戦いに取り組んでいくべきであると思う。師とともに戦える時間は限られているのだから。
心ある方は、現実の活動で証明していきましょう。
地域の人や、同志に信頼される自分を確立していこう!
思いのままに書き込んだため「H20-3-20」加筆しました。