女子部・婦人部合同協議会


きょうまで幸せだった人が、明日は不幸の底に落ちるかもしれない。
きょうまで不幸だった人が、明日は一挙に運命が開ける場合もある。
また、外からは幸せな境遇に見えて、じつは不幸に泣いている人がいる。
外からは不幸な境遇に見えても、生き生きと充実の人生を生きる人がいる。
結局、幸福を決めるのは「心」である。
これは唯心論を言うのではない。
わが心こそ、仏界の生命がそなわる宝の器である。信行に励み、この仏界の生命を湧き出だしてこそ、生涯にわたって確実な幸福の軌道を歩み、所願満足の人生を飾る事ができる。
日蓮大聖人は「さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(御書1492P)と仰せである。
皆さまは、この正しき人生を歩んでいただきたい。
そのためには、学会という清浄な信心の世界を、まっすぐに進んでいくことだ。

【女子部・婦人部合同協議会 2006.2.20付 聖教新聞


信心は「純粋」に、「まっすぐ」に、「愚直」にと言い方はいろいろあるが、言うは易く、行うは難しだ。
「人間は感情の動物」とは、その通りで、人に言われたことに右往左往してみたり、怒ったり、悲しんだり、忙しいものです。
私は、外に向けては「喜怒哀楽」の「怒」は、仏敵に使うものだと思っている。
今であれば「日顕宗」だ。
しかし、自分に腹が立つことは良くあり…。(笑)
たまに幹部に対して「怒」を使ってしまうこともあり…。(笑)
そんな私に、昔、地元の先輩は「九思一言」と…。(爆)


壮年部になってからは、思いを語ると「それは理想や」と言われることが多い。
でも、「理想を目指すのが信心ではないのか」と反論する。
だいたい「そんなことを言っても」と言う答えになる。
「仏法」より「世法」、「信心」より「組織の論理」とかになっていると思ってしまいます。


まあ、愚癡はこれぐらいにして、「学会という清浄な世界」を守る側に立ちたい。
唱題根本に、仏界の生命を湧き出だし、目標を掲げ、日々前進の自身であれ!
信心の指導を受けきる事!先生の指導を求めきること!そこにしか成長はないのだから。