人間革命12巻より 第3回
続けます。
憂愁の章より
戸田は医師の忠告に従い、好きだった酒も、タバコも口にしなくなった。明年3月の大講堂の落慶には、なんとしても元気な姿で臨まねばならぬという一念が、欲求を制したのである。
医師の深刻な憂慮と、真剣な治療がつづいたが、11月下旬は、はかばかしい回復の兆しもないままに過ぎた。戸田は、彼の広布の行路を閉ざす病魔と戦っていた。
このころ、学会員の医師の二見浩が、見舞い方々、病状をみにやってきた。二見は、これまで、しばしば戸田を診察していた。
戸田は二見の顔を見ると、自らを鼓舞するように語りはじめた。
「二見君、いまは75万世帯が達成されようという時だ。魔が競い起こるのは当然のことなのだよ。しかし、魔の中でも、こんどの病魔は小邪鬼の部類だ。これぐらいの魔に負けていたのでは広宣流布はとてもできんよ」
戸田の病状をよく知る医師の二見は、戸田の言葉を制して言った。
「先生、あまりお話になりますとお体にさわります。お見舞いの方との面会も、極力さし控えていただきたいと思います。ご病気を克服するうえで、いまがいちばん大切な時でございますから」
二見は、懸命に訴えた。
「そう深刻な顔をするな。私は、命を延ばす方法を知っているから大丈夫だよ。1月の初登山にはいくつもりでいるんだからな」
医師の判断では、早くても4か月から半年の徹底的な治療と静養が必要だとされていた。それも、これ以上の悪化を招かないことが前提であるだけに、1月には登山するという戸田の言葉は、あまりにも性急であるといえた。
しかし、二見は、戸田の確信にあふれた言い方に言葉を失った。
12月上旬になると、戸田の病状にかすかに変化があらわれ、好転の兆しが見えはじめた。強い倦怠感は抜けはしなかったが、次第に食欲も出はじめ、あの腹水が徐々に吸収されはじめていったのである。肝硬変症で腹水が出た場合は、自然消滅の可能性は極めて低い、それが12月10日ごろには、ほとんど自然消滅していった。驚異的な好転であった。
この意外な変化に、木田医師も驚きを隠せなかった。彼は、内心、奇跡であるとさえ思った。医師たちはようやく愁眉を開き、胸をなで下ろした。以来、自信をもって治療に当たったのである。
この頃、戸田先生の願業である75万世帯の達成が目前でした。
お酒もタバコもやめられて、奇跡的な回復をされた。「私は、命を延ばす方法を知っているから大丈夫だよ。」との御確信!学んでいかなくてはと思います。
つづきます。