「人間革命」12巻より 第1回


「熊田一雄の日記」ブログで、
「戸田さんは、晩年は水代わりに酒を飲み、肝硬変からくる急衰弱で若くして亡くなりました」。との記述がありました。
実際はどうだったのか、「人間革命」を通して学んでいきたいといます。

憂愁の章より


一夜明けて、いよいよ広島行の二十日になった。、秘書部長の泉田ためが、戸田城聖を自宅に迎えにきた。
 戸田は、「さァ、行くか」といって立ち上がろうとして、ガクッと、膝から崩れるように倒れた。彼はもう一度立とうとした。しかし、足に力が入らないのである。二度、三度、足を踏ん張り、柱を握りしめながら、ようやく立ち上がったが、今度は足を前に踏み出そうとすると、体がグラリと揺れ、また床の上に倒れた。
 妻の幾枝は顔色を変えた。戸田は何度も起き上がろうとした。幾枝は彼の腕をとったが、それでも立ち上がることができなかった。全身の極度な衰弱が彼の歩行を困にしていたのである。
 戸田は床の上に横になって、荒いをしていた。
 「だめか……」
 彼は眉間に皺を寄せ、無そうにこうつぶやくと、観したように眼を閉じた。
 幾枝は主治医の矢部健也に電話し、往診を頼んだ。
 広島には急遽、理事長の小西武雄が戸田の代理としていくことになった。
 しばらくすると、矢部医師がやってきた。診察をしてみると、腹水が認められ、黄疸(おうだん)を併発し、全身の衰弱が著しかった。矢部は、肝硬変症の疑いがあり、しかも、かなり重篤な状態にあることを知った。彼は徹底治療の必要から、師であり、消化器内科の権威であるN大医学部助教授の木田利治医師に来診を依頼した。
 夜になって、矢部医師も立ち会い、木田医師の診察が行われた。矢部医師は、戸田は食欲もほとんどなく、強い倦怠を訴えていることなど、病状を説明した。木田医師は、丹に診察していった。
 ――たしかに腹水がたまり腹部はいちじるしく膨隆している。上腹部を触診すると、肝臓が種大し、硬くなっていた。また、眼球結膜には黄疸が現れている。肝硬変症であることは疑いなかったが、尿や血液など詳細に検査することにした。
 戸田の諸検査事項の主な結果は次のように出た。
 ――「尿ウロビリン体―強陽」「ビルビリン―陽」「蛋白―陽」「糖―陽」「血清黄疸指数―四八」「高田反応―四本」「糞便潜血反応―強陽」「腹水試験的穿刺液―陽
 まさに満身創痍の病状といってよい。血清黄疸指数の正常値は七以下である。それが四八もある。しかも、糞便潜血反応が強陽ということは、消化管に出血があることを示している。たしかに、相当、重篤な症状である。当時、肝硬変症で腹水が出ると、通常、予後は極めて不良で、腹水がなくなる可能はいたって低いとされていた。
 木田医師は入院を勧めたが、戸田はそれを硬く拒んだ。入院してしまえば広布の指揮は執れないと考えたからである。

【「人間革命」12巻 憂愁の章 文庫本196頁】

かなり病状が悪かったことが伺えます。
小説「人間革命」は、池田先生が現実にあったことを、できるだけ忠実に綴ってくださっていますから。
学んでいきたいと思います。


今日はここまで、皆様しばらくお付き合いくださいませ。