人間性豊かな名将に


新書太閤記」に「およそ将といわれるほどの人物は、麾下の将士の服をうけるばかりではなく、個々の将士の家族達からも、頼もしい親柱として、慕われもし、尊敬をうけていたようである」との一節がある。
 将ということは、今でいえば、すぐれた指導者と訳していい。これを私どもの立場でいえば、班員の多少にかかわらず、指導に際して、人間豊かに、から相手の気持ちになってあげ、力強い自信を与えていくことです。そして、一人一人が強情な信に立って力強く人生を歩めるように、兄弟、友達となって、引っ張っていくことです。
 相手が何に悩んでいるのか、またその人の家族の状況、または職場等の問題にいたるまでもよく理解してあげ、急所、急所をアドバイスしていけるようになるのが、これが本当の指導者なのです。ただ組織の上だけのつながりでは解決できえない面が、どうしても出てくる。班員の家族、兄弟からも、また信していない人からも「あの人は本当に頼もしい。何でも相談できる」こういわれるような、庶民の指導者、将としての土台を、人格を、今からつくっていただきたい。
 結局は信です。信は知恵であり、人間であり、真です。その人間豊かな包容力が、学会を支えていく最も大事な、最も強い絆であるということを、諸君は深く自覚していただきたい。

【在京・男子部班長撮影 1968-2-9 信濃町・東京文化会館


私の地域の組織の弱さは、組織上のつながりだけを上品にこなしているところだ。
連絡は報告内容と報告の数のみなのです。人間味が薄いのだ(涙)
「ほうれんそう(連絡・報告・相談)」のそう(相談)はまったく無い。
で、地区や支部幹部の間には「報告だけをこなしていればいい」という空気が蔓延している。
かなり、変わっては来ましたが、まだまだ取り組んでいかなくてはならない。


もう一つは、お金のかかることに対して非常にルーズ――ということ。
たとえば、書籍関係。地区で○○冊との目標が提示される。
それはいい、目標を掲げ家庭訪問で対話し啓蒙していくことも大事な戦いですからね。
しかしながら、この目標が強制になっていることが問題なのです。
最初から「地区で○○冊、申し込んでいますから」というじだ(笑)
笑いごとではないのだが……。
追い込んでやらせるというやり方は、一つの方法ではあるが、何にせよ「一事が万事」これなのだから現場は大変です。
結局、ひとのいい会員さんに負担がかかる。


なんにせよ、自分の目の届く範囲の会員さんには、負担をかけないようアンテナを張り巡らせておくしかないのが現状。情けない話です。
まあ、いずれにしても、メンバー一人一人を全部自分が背負っていくという戦いの中に喜びと成長がある。
理不尽なことにはを上げ、地域の会員さんが喜んで戦うことのできる場を築き上げていくのが私の使命だ!
一歩も引くことなく取り組んでいきたい。