四国研修道場 由来


先生に思う存分 指揮を取っていただける場所を 四国にも作りたい―。
これが四国の同志の願いであった。
1977年(昭和52年)の暮れ、願いが現実のものとなった。
四国研修道場が完成したのである。
先生は、翌年、3度も研修道場にこられたのです。


私が地元の先輩からお聞きした話。
当初研修道場の建設予定地は、今の場所ではなかったそうです。
それが、視察に来られたおり、海水浴場(マリンパーク)であった現在の場所で
先生は「ここがいいじゃないか」と言われたそうです。
地元、庵治町の拠点にも立ち寄られ、参加されていた方を激励。
庵治町に隣接する、私の住む牟礼町の役戸(やくど)の海岸も散策されたそうです。


1978年(昭和53)1月愛媛指導を終えた池田先生四国研修道場を初訪問。
道場のある場所は、源平の屋島壇ノ浦の戦いで平家がひそんでいた「船隠し」と言われる場所です。
先生が海を見渡す桟橋に立ったとき、偶然にも一筋のながれ星が…。
とっさに「流星に 顕本見えたり 庵治研修」とのお歌を詠まれました。
道場に入ると
「ここはかつて源氏や平家の若者達が戦って、大勢、命を落としたところだね。その兵士たちの追善供養のために、みんなで勤行をしよう」
そういって、勤行をされました。
庵治町は、人口3000人ほどの小さな町です。先生が源平の兵士に追善供養された話が次の日には、町じゅうの話題となったそうです。
道場内にあるすべてのものに名前もつけられ、浜辺を「月光海岸」。
海水浴場時代からあった、桟橋の先の構造物(吹き抜けの2階建でしたが今は台しかのこっていません)に「流星台」。
石造りの波止の上にある、石燈篭に「久遠の燈」など。
訪問の歴史を刻んでいただいたのです。