全国代表協議会2


ここで再び、戸田先生の指導を学びたい。
戸田先生のことは、いくら語っても語り尽くせない。真実の師弟とは、そういうものである。
戸田先生はおっしゃった。
「惰性は、大聖人の仏法を腐らせる」と。
自分では活動しているように思っていても、知らないうちに惰性に流されている。進んでいるつもりでいても、実際は停滞している。それが怖い。
常に常に「強い信心」に立つことである。
新しい目標へチャレンジしていくことだ。
惰性は暗!
前進は明!
仏法は、一生涯、前進である。
若々しい生命で、青年の息吹で、最後の最後まで、求道の心を燃やして進んでいく。
それが仏法者の生き方である。
いくつになっても、心は生き生きと生きられる―それが最高の人生の幸福なのである。
戸田先生が晩年、しみじみと、こう言われたことが懐かしい。
「私が打てる手は、全部、打っておいたぞ。あとはお前が、思う存分、戦いまくれ!勝って勝って、勝ちまくれ!」
私は、この言葉の通りに、戦って戦って戦い抜いた。そして、勝って勝って勝ちまくってきた。

【全国代表者会議 2006.2.1付 聖教新聞

くすのきは、男子部時代。地元で2年、派遣で3年、計5年間部長をしていた。このときの戦いが今の自分の信仰の土台となっている。
地元は、もともと活動家も多く常に本部の先陣を切るような部であった。
今思い出してみると、それをいいことに組織の上にあぐらをかくようなところがあったように思う。二度目の離婚もこのときであった。この時代のことは猛省している。


このときの本部長がよく言っていた。
「常に自分の信心の点検をせよ!全責任を担え!常に師ならばどうするか考えろ!悩みのないところに成長はない、悩みぬけ!」と。


派遣先の部は、悲惨なものであった。H地区リーダーと2人からのスタート。最初の1年間は365日、1日も欠かさず1時間唱題、人間革命の学習会を続けた。腹のそこから本気で「生涯不退転の決意」をしたのもこの時であった。
一週間に4日は、2人で家庭訪問をしていた。当時の男子部統監数は97名。
一年後には、座談会に40名近いメンバーが集うようになっていた。
3年後、組織編成(部が他分県になった)に伴って、地元に帰り本部長になった頃には、総県でもトップクラスの部に成長していた。
師と呼吸を合わすということを学ぶ事ができたのもこの時である。
惰性は自分でも知らないうちに、忍び寄ってくる。常に前進の自分でありたい。


この派遣先、屋島西部のH地区リーダーは、7年前不慮の事故で他界。
「なんでや」「もっと、なんかできたんではないか」と、何回も何回も考えた。今でもそうだ。
しかし、感傷はいらない。すべてを背負い、くすのきは、生涯H君の思いを受け継ぎ悔いなき歴史を刻んでいく。