随筆「人間世紀の光」103


私が、人生の師である戸田先生に巡り会い、仏法を知ったのも、座談会であった。
昭和二十二年の八月十四日の夜、蒲田の糀谷で行われた座談会―ここで、四十七歳の師と、十九歳の弟子は出会ったのである。
翌日は、二度目の敗戦記念日であった。
戦後の荒廃のなか、正しい人生を求めて、青春の魂の遍歴を続けていた私は、「立正安国論」を講義される先生の気迫に打たれた。いな、先生の人格に圧倒された。
そしてまた、この貧しい庶民の集いが、かくも明るく、かくも深遠な哲学性をもっていることに感動した。
多くの方々がそうであるように、座談会は、私が学会を知った原点なのである。

【伝統の「座談会」の思い出 上 2006.1.19付聖教新聞


座談会の重要性がひしひしと伝わってきます。毎月の座談会で参加された方が喜びや感動を持って帰っていただけているのか、くすのきは毎回悩みます。
心がけている事は、一言でも全員に発言していただく事。話し掛けていく事です。


まさに、座談会は「言論戦」「思想戦」の場であり、「不惜身命」「死身弘法」の大闘争の法戦場であった。 ◇  その先師の心を偲んで、私は、真剣に真剣勝負で臨んできた。

【同 伝統の「座談会」の思い出 上】


師の心を我が心として、座談会を真剣なる法戦場として、取り組む事ができているか。
家庭指導、座談会からしか、勝利の突破口は開けない。
今月は、信仰の喜びを語り、師弟の大切さを語っていきたい。


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