第2総東京最高協議会


日興上人は仰せである。
「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである。師弟の道を少しでも誤ってしまえば、同じく法華経を持っていても、無間地獄に落ちてしまうのである」(通解)と。
私は19歳から、戸田先生を師匠として仰ぎ、全生命を賭して、お仕え申し上げた。
師を護り、師の建設された創価学会を世界的にするために、それはそれは、全身全霊、死にもの狂いで戦い抜いた。
「先生、私が必ずやります。ご安心下さい」。こう言い切って、あらゆる闘争の指揮を執り、同志とともに一切を勝ち越えてきた。
まっすぐに、師弟に生き抜いた。
まっすぐに、師弟の約束を貫いた。
私の人生には、一点の後悔もない。


戸田先生は、第1の難をば、獄中において、耐え忍ばれた。
会員は激減し、学会は存亡の危機に陥ってしまった。
第2の難は、戦後、学会発展の途上において、事の大敗北として競い起こった。
多くの弟子達は、偉大なる師匠を、恩師でありながら、軽んじていた。
ある悪者は、非難中傷した。
そして、ある恩知らずの弟子たちは、難が来ると師匠を侮辱して、あざけり笑って、去っていった。その光景は、私の胸に焼き付いて離れることはない。
当時の理事長も、師である戸田先生を誹謗したのである。
多くの大恩を受けながら、畜生のごとき心をもって、偉大な師匠の恩を仇で返した輩は、当然のことながら、その最終章はあまりにも見しく、みじめであった。
「君よ 卑怯者になるな! 傲慢になるな! 恩知らずになるな!」
これは、牧口先生戸田先生以来の叫びであるのだ。
仏法は勝負である。
師も勝った。
弟子も勝った。
師弟不二にして、永遠の勝利を、私は築いた。
なんという誉か。
なんいう満足か。
大聖人と同じ心をもって、広宣流布のために、不惜身命の者として、大勝利者として、その永遠の生命は続くのだ。
「池田門下生もかくあれ!」と、私は叫んでおきたい。


大聖人は仰せである。
「ともかくも、死は必ず訪れるものなのである。そのときの嘆きは、現在のしみと同じなのである。
同じく死ぬのであるならば、かりにも法華経のために命を捧げなさい。それこそ、あたかも露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものであると思いなさい」(御書1561頁 通解)と。
妙法とは、「不思議の法」である。絶対にムダはない。すべてに意味がある。
ゆえに、何があろうとも、きれいな心、誠実の心で、師弟不二の仏法に徹しぬいた人間が勝つのだ。
邪道は滅ぶ。正しい道を歩みぬいた人が、最後は必ず勝利者となる。
私の青春の姿は、一見すれば、貧しく、みじめであったかもしれない。
先生のもとで、給料もなしで働いた。真冬でもシャツ一枚というときもあった。
行きたかった大学も断念せざるをえなかった。
「そのかわり、私が君にぜんぶ教えてあげるから」と、先生は、約10年間、毎朝のように、万般の学問を個人教授してくださったのである。
日曜日には、ご自宅に招いてくださり、勉強の合間に、「大作、おなかがすいただろう」と、手作りの料理を食べさせてくださった。
すべてが先生と私だけの忘れ得ぬ“生命の劇”である。

【第2総東京最高協議会 2006.1.4付 聖教新聞


私たちは、毎月、池田先生のスピーチを、聞くことのできる恵まれた環境にあります。
入場券がなくても、会館に行けば、入場できます。
師匠は自らが、戸田先生の弟子として、どう戦ってきたかをよく話してくれます。
私たちは、直接、先生に訓練される事はないです。


しかし、自分はどうだ!
毎月師匠の息吹を感じる事のできる環境にいながら、弟子として戦いつつ成長する事ができているのか。
「すごい」の一言で終わらしてはいないか。
毎月、師匠に呼吸を合わせることができているのか。 
油断はないか。
真剣さが欠けていることはないか。
胸中に師弟不二の精神が脈打っているのか。


先生は「弟子の戦いは、こうだ」といわれている。
まだまだ、前進だ。まだまだ、成長だ。
本物の池田門下生を目指していきたい。