平和思想を刻んでいく

明るい人生のためには 平和でなければならない。
幸せの人生のためには 絶対に戦争はあってはならない。


人生、それは 幸福になるためにある。
人生、それは 不幸の闇と戦い 勝つためにある。


戦争ほど 残酷なものはない。
戦争ほど 悲惨なものはない。


どれほど 母たちの涙が 流されてきたことか。
どれほど 若人の青春が 引き裂かれてきたことか。
どれほど 子供たちの笑い声が 押しつぶされてきたことか。


平和は 遠くにあるのではない。
一人の人を 大切にすることだ。
お母さんを 泣かせないことだ。


人の不幸の上に 自分の幸福を築かないことだ。
喜びも苦しみも 皆で分かち合っていくことだ。


黙っていてはいけない。
勇敢に声をあげるのだ。
歌声が響くところ 平和は広がる。
友情の対話から 平和は深まる。
学び合う心があれば 平和は崩れない。


平和!平和!
そこにのみ 幸福が生まれる。
勝利の幸福が飾れる。

【長編詩「平和を!平和を!そこに幸福が生まれる」より】

芸術部の同志により、2010年11月3日「青年文化総会」で朗読された。

 わが子を、戦争で失うことなど、絶対にいやだ。戦争には、断固として反対だ――それは、すべての母の思いであろう。
 しかし、それが、平和思想となって、深く広く根を下ろしていくには、自分だけでなく、子どもを戦場に送り出す、すべての母や家族の、さらには、戦う相手国の母や、その家族たちの苦しみ、悲しみを汲み上げ、生命尊厳の叫びとして共有していかなければならない。

【新・人間革命 「母の詩41」 2010-11-19付聖教新聞より】


私は恵まれていることに、言論・表現の自由の国に生きている、自由に理想を語れるのだ。
確固たる哲学にもとづいた、師の思想を堂々と書き込むことができる。
しかし、理想を語ると「理想だけを語る輩をみると、腹が立つ」との冷笑主義に叩かれるのが今の日本ではないだろうか。
現実を語るだけで、理想をもたず、国家間のパワーゲームを肯定している評論家たちがマスコミを使い「愚かな思想」を広げているのが現実だと思えてならない。


わが創価の同志は、「一人ひとりの心に平和の砦を築く」戦いを進めている。
一人一人が師に続く戦いに挑戦しているのだ。


隣国の砲撃戦で、民間人の被害者がでたとのこと。
謹んでご冥福を祈りたい。


理想を現実のものとする哲学は「創価思想」に脈打っている。
忙しい現実と戦いつつ、世界に開かれたWeb上にも、師の平和思想を刻んでいきたい。


ちと、かたよりすぎて誤解メールをいただいたので追加しておきたい。
素人が文字で伝えるのはしい><
根本は平和です。
日本が平和であるからこそ、私でも好きなことを発信できる。
で、非道な行為に対しても声を上げることも可能なのだ。
だからこそ、師の思想を発信するメンバーがもっと出てきてもいいのではないかと思うわけです。
まあ、メンバーは忙しいので私のように閲覧も厳しいのでしょう><


鮮のしたことを単純化すればわかりやすい。
各国を擬人化し。北鮮君・韓国君・アメリカ君としておこう^^
特に日本人は、家族とかに例えればいい。
非道にも、隣人が我が家の離れに投げ槍を打ち込み、その結果愛する家族の一員が亡くなってしまったのです。
韓国君は、切れてしまいます。
韓国君には世界最強の用心棒アメリカ君がついています。
韓国君はアメリカ君と近代兵器使用の訓練を北鮮君に見せつけた。
鮮君は、勝てないことは分かっている……たぶん。
が、投げ槍の先につける毒を持っていて「強気」でいると皆ビビると思い込んでいる。
悲しいことにそこから平和は生まれない。


現実世界は、力だけが支配する権力の理論が正当化されているわけです。
この構図は、中国の三国時代とも同じで現代にいたるまで権力(国家)は力が支配している。
鮮君に対し、批判の声を上げなくてはならないが、アメリカ君と韓国君が現代兵器を見せつける行為を許してもいけないのではないかと思う。


だからこそ「声を上げる。ということが大事なのだ」と私は思う。
鮮のやり方には怒りしか感じないし、アメリカや韓国のやり方にも怒りを感じてしまう。
現実、理不尽の二字が世界を覆っている。


んが、現代の平和な国に住んでいる私には、理不尽を追求することのできるネットというツールを手にしている。
まだまだ、ネットの世界は人間の本能が支配されている土壌で、愚かな思想が蔓延している。
その上、日本人は保守的なマスコミに振り回されぱなしだ。
師の思想を一行でも発信し、日本の庶民の声で愚かな思想を打ち破っていきたい。
「世界中の母が悲しまない」平和思想を打ち立てていくことが大事だ。
だからこそ、これからも我が日本の創価同志のネット参加を呼びかけていきたい。